キリスト教の神、ラオスの聖霊、そしてアメリカの人間:「グラン・トリノ」

 「グラン・トリノ」を観た。確かにこれはイーストウッドの最高傑作だと思った。∀ガンダム的な、総決算だ。


 私は小学生の頃アメリカに三年間住んでいたのだが、隣人や学校の同級生としてラオスからの難民がいた。で、小学生ながらに彼らに対して差別意識を持っていて、思えばあれが私の初めての戦争体験だった……、という話は以前書いた。


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 ただ、この映画におけるラオスのモン族という存在は、実は取替え可能なんだよね。アジア系で、アメリカが関わった戦争の被害者で、難民や移民としてアメリカに住んでいる民族なら、実は何でもいい。


でも、その「何でもいい」ところが、この映画の放つメッセージの強さでもある。結論から先に言ってしまうと、これはイーストウッドにとっての「アカルイミライ」だ。しかも、彼は「アカルイミライ」を本当に「明るい」と考えている!*1どこの馬の骨であれアメリカン・スピリットを継承する者ならアメリカ人だ!ということなのだから。
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 高校の頃「許されざる者」を観た時は全くわけがわからなかった。唯一感じたのは、監督としてのイーストウッドの変態性だ。何しろこの映画、ジャンル映画としては人殺しやレイプといった、率直な暴力のシーンで一杯なのだから。その後、ビデオで観た「恐怖のメロディ」や「ダーティハリー4」で変態であることを確信し、「ミスティックリバー」以降はイーストウッドのセルフ変態プレイを最高のSM倶楽部で見せ付けられるような日々だった。
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 その過程で、イーストウッドの変態性が何を意味しているのか、自分なりに段々と理解できるようになってきた。イーストウッド監督作の主人公(「ミリオンダラー・ベイビー」などは主役を演じるのがイーストウッドでない点に注意)は、全員何らかの傷を負っている。それは肉体的、或いは精神的なものなのだが、過去に何らかの罪を犯し、罪の意識に苦しんでいる*2。それは、彼の宗教的背景もあろうが、時に聖痕や聖痕を持ったヒーロー=キリストに喩えられたり、逆にそれらの隠喩となったりもする*3
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 機会あらば贖罪を果たそうと試み、それがドラマとなるのだが、その苦しみ悶えるさまを真摯に描こうとし、それがあまりにも強烈なので、変態性を感じるのだ。或いは、苦しみ悶えるさまを描くことに全精力を傾ける、映画作家的変態なのだ!ともいえる。


 さて、最近のイーストウッドはとても親切なので、冒頭で登場人物にきちんと映画の主題を口にさせる。
 「チェンジリング」ではアンジェリーナ・ジョリーに「お父さんはオトナになるのが怖くて逃げちゃったの〜」と言わせ、この映画が「責任」の物語であることを最初にはっきりと提示していた。
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 「グラン・トリノ」の冒頭は妻の葬式から始まる。これは「生」と「死」の物語だ、と思える。だがその後、孫達が「神と聖霊の御名において」というお決まりの言葉を茶化しながら十字をきる。イーストウッドはそれを見て、うなる。これはおおいなる三位一体の、グランド・トリニティーの物語だったのだ。


 父と子と聖霊。普通に考えれば、「父」というのはおおいなる父性であるイーストウッド、彼が演じるウォルターのことだ。「聖霊」はアメリカン・スピリット。子はいわずもがなだろう。つまり、アメリカン・スピリットがあれば、誰もがイーストウッド(が演じてきたキャラクター)のように、アメリカ人になれると。


 だけど一方でこうも思う。「子」というのは、すなわちキリストだ。これはイーストウッド映画における主人公のあるべき姿でなければならない。となると、これはカトリック(の信者であるウォルターに代表されるちょっと昔のアメリカ人)の隠喩としての「神」、ラオスのモン族(やその他非白人マイノリティ)の隠喩としての精霊ならぬ「聖霊」、そしてあるべきアメリカ人としての「人間」を意味しているんじゃなかろうか。


 本作でイーストウッドが演じるウォルターというキャラクターはカトリックだ。そして、もの凄い右翼で、差別主義者だ。一方で、朝鮮戦争でアジア人を殺し、罪の意識に苛まれてもいる。
 ウォルターは∀ガンダムが「白いヤツ」と呼ばれるのと同じ理由で、「危ないヤツ」と呼ばれる。彼は老人になったハリーであり、荒野の用心棒でもある。今まで散々アメリカにとっての「悪人」を殺してきた。
 だからこそ、他人から愛される自信が無い。それでも、隣人のスーやタオは自分を慕ってくる。良いお手本だと言ってくれる。何故?「あなたはアメリカ人だから」


 アメリカ人は、他国からみたら矛盾した存在だ。様々な戦争に介入し、アメリカ的価値観を押し付ける。一方で、戦争で発生した大量の難民を世界のどこよりも引き受けるのもアメリカだ。
 建前上、アメリカに人種差別は無い。白人も黒人もアジア人も、制度上は誰でも大統領になれる。個人個人に差別意識は存在するが、「アメリカに差別は無い」という建前を全員が信じ、そう振舞うことができれれば、本当にそれは無くなる。


 アメリカ人は、最初からアメリカ人なのではない。行動で、そう振舞うことで「アメリカの人間」になるのだ。ウォルターもタオも、行動でアメリカ人になる。そういう映画だった。

*1:黒沢清はそうじゃない

*2:ファイヤーフォックス」や「アイガー・サンクション」といった非文芸アクション映画でも、その要素がある

*3:蓮實重彦も指摘していたけど