日常という天国、日常という地獄:「この世界の片隅に」

 連休中は割合時間があったので、「この世界の片隅に」を上中下と三巻まとめて一気読みしたのだが、いや、これは怖ろしい漫画だったよ。こんな漫画を世に問うなんて……、こうの史代……恐ろしい子
この世界の片隅に 上 (1) (アクションコミックス)
こうの 史代
4575941468

この世界の片隅に 中 (2) (アクションコミックス)
こうの 史代
4575941794

この世界の片隅に 下 (3) (アクションコミックス)
こうの 史代
4575942235

 こうの史代は2004年に「夕凪の街」「桜の国」の連作で、一躍一流漫画家の仲間入りを果たした。それまで彼女は、日常の中のちょっとした笑いや情感溢れるひとときを、数ページの短編や四コマといった形式で書く、地味な漫画家と思われていた。しかも、掲載誌は「まんがタウン」や「まんがタイム」といった小部数の、決して単行本化が期待できない雑誌だ。
夕凪の街桜の国
こうの 史代
4575297445


 「夕凪の街」「桜の国」の後も、こうのの本領は戦争を題材にした大作ではなく、「ぴっぴら帳」や「さんさん録」に代表されるような、日常の積み重ねの中にあるほのぼのとした生活を軽いギャグと共に扱ったものだと思われていた。少なくとも、私はそう思っていた。


 だから「この世界の片隅に」には驚いた、というよりゾっとした。これは戦争という現代の我々からみれば非日常の極みに思える題材を、日常の積み重ねで描くという怖ろしい作品だった。
 勿論、「夕凪の街」「桜の国」も、日常とか一生活者の視点から「戦争」や「原爆」を語った作品ではあった。しかし、「この世界の片隅に」は形式的にも分量的にも大きく異なる。


 まず最初の数回では広島から呉に嫁ぐ主人公すずの日常が、それこそ「ぴっぴら帳」や「さんさん録」と同じような日常ほのぼのコメディと同様の表現で描かれる。夫は事務官だけど軍人だし、舅は海軍工廠技師だが、平和な日常が綴られる。
 上巻から中巻に読み進めていくに従って、戦争の影というものが日常に入り込んでくる。物資に困窮しているので嫁と姑の二人で仲良く配給の玄米を精米したり、国民学校の校庭にはためく旭日旗を見上げたりする。だが、ことここに至ってもすずは日常をできうる限り楽しんでいるし、彼女が思い悩むのは戦争そのものではなく、日常の夫婦間における男と女の問題であったりする(「長い道」では敢えてやらなかった男と女の肉体的触れ合いも、しっかり描いていたりする)。勿論、それらは時代と情勢を反映したもので、すずの生活の延長線上で戦争と繋がっているのだが。
長い道 (Action comics)
こうの 史代
4575939625
 ここに至ってもなお、日常から生まれるちょっとしたギャグやほのぼのとした生活が、それなりに描かれる。人が死ぬとか憲兵に間諜行為を疑われるとかおったシリアス極まりない話題を扱った回も、最後の一コマは決まってギャグで終わらせたりするのだ。それはまるで、すず自身がこの世界で生きていく智慧であるかのようにも思える。



 以下、なるべくネタバレしないように書くけれども、カンの良い人は気づくと思うので、気になる方は読まないで欲しい。



 下巻において、遂に決定的なことが起こるのだが、ここでそれまでの日常描写がもの凄い重さになって圧し掛かってくる。
 我々は混交した現実を、つまりは日常を、ある程度単純化して理解する。つまりは、それなりの物語として理解しているわけだ。そのような作業を日々繰り返しているので、物語という形式で発表された作品に触れたとき、符号化されたデータをデコードして元の文字列を取り出すかの如く、その裏側にある日常をあれこれ想像するわけだ。
 でもさ、日常描写を丹念に描いた作品というのは、そのデコード作業が要らない、もしくは少なくて済むんだよね。それはつまり、生の現実に近いレベルで、創作世界に触れること、触れてしまうことなのだな(ちょっと「風が吹くとき」を思い出した)。
風が吹くとき
Raymond Briggs さくま ゆみこ
4751519719


 もう一つ。ある時から背景の絵柄が切り換わる。赤塚不二雄がギャグとして使った手法がここでは主人公の世界の捉え方を表現する手法として用いられる。終戦後、登場人物はそれなりに救われたかのようにみえ、多くの場面で日常がそれまでと変わりない温度と描写で描かれる。すずの顔には笑顔が戻り、失った○○に、自身の想像力に救われたかのようにみえる。しかし、背景は変化したままだ。これから先、すずの物語が続いていくとしても、背景の絵柄が二度と元に戻ることは無いだろう。これは本当に怖ろしく感じた。


 そういや、○○が主に現われるのはコマとコマの間、夏目房之介が間白と呼ぶ部分だ。ここは漫画の表現手法において時間も空間も超越した場所とされる。
 漫画において時間も空間も超越した場所といえば、表紙もそうだ。この下巻の表紙、とてつもなく明るくキレイな絵だ。しかしその実、表紙をめくらなければ○○がみえない構図で描かれていたりする。
この世界の片隅に 下 (3) (アクションコミックス)
こうの 史代
4575942235


 一見地味な絵柄と登場人物で油断させ、その実あらゆる漫画的テクニックを総動員して読者の心を読む前と後とで決定的に変えてしまう。こうの史代……本当に恐ろしい子