「ヤッターマン」は面白いかどうか問題

 実写映画版「ヤッターマン」の評判が私の周囲のシネフィル(とまでは呼べない映画ファン)や巡回サイトの間でとても良いので、ちょっと戸惑っている。


 というのはさ、この映画、一つの映画作品としてみた場合、それほど上等なものじゃないよね?


 私が言いたいのは構図やカメラのアングルやカット割りや編集のテンポの積み重ねとしての映像作品ということなのだが、こういう映像的な問題を文章で説明するのって凄く難しいし、結局はセンスの問題だと思うのでどうしたって理解して貰えない可能性があるのだが、一応書く。


 わかり易いところでいうと、たとえば冒頭にある渋谷ならぬ渋山でのアクションシーンだ。
 この種の映画の冒頭ってのは重要だ。派手なアクションとテンポの良い編集で観客の心を掴み、映画内世界に一気に引き込まないといけない。それとなく作品世界の基本設定や人物紹介もする必要がある。「映画は最初の20分で面白いかどうかわかる」と豪語する人物に一定の説得力があるのはその為だ。
 ここ数年で、この「冒頭のアクションシーン」が最も上手かったのは「アイアンマン」だろう。トニー・スタークの中東訪問→拉致から一気に時間を巻き戻し、Apogee awardsの授賞式での紹介ビデオでノリの良い音楽と共に背景を強制的に説明しつつ、受賞よりもギャンブルにかまける主人公の姿を描くことで性格をも説明するという手際の良さが天才的だった。エンターテイメントの「つかみ」としては満点以上の出来栄えだと思う。
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 一方で、「ヤッターマン」のそれはどうかというと、実にユルい。ハチ公像の代わりにハッチ公像があることからアニメ的な世界観に基づいた映画であることはわかるのだが、テンポが良かったのはそこまでの十数秒だけ。あとはずっとダラダラしたアクションが続く。
 極端なパースとかカメラアングルとか素早いカット割りなどは全く無く、BGMも全く無し。ボヤッキーがキックの勢いで脚をボキっと折ったシーンの直後も平気で地面を歩くアニメ的お約束描写や、ヤッターマン二号の胸をトンズラーの武器がスリスリする下ネタは確かに笑えるが、「アイアンマン」の倍以上の時間で半分以下のことしか説明していない。


 で、このユルい感じは冒頭のアクションシーンだけでなく、結局最後まで続くのだな。つまり、ドロンボー一味が「天才ドロンボー」の歌を唄いながら新メカを作るさまをそのまま実写でやったり、そのメカに同じメカであるヤッターワンが発情してしまうネタは確かに面白いし笑えるのだが、それをつなぐ編集のテンポがダラダラしているので気持ちよく楽しめないのだな。「天才ドロンボー」のシーンはもっとPV風にするべきだし、悪意たっぷりの下ネタを気持ちよく租借するためにもネタとネタを繋ぐ編集はもっと軽やかであるべきだと思う。同じ撮影素材を使っても、編集でもっと詰めてテンポを良くしたり、BGMを流したりすることで受ける印象は全く変わってくる筈で、実に勿体無い。


 三池崇史の映画はいつも編集と音楽の使い方に問題がある、というようなことを「シネマハスラー」でライムスター宇多丸がいっていたのだが*1、実にその通りだと思う。


 でも、それが上手くいく場合もあるんだよね。世間的な評価は別として、私は「スキヤキ・ウエスタン」や「妖怪大戦争」が大好きなのだけれど、あのように出演者=キャラが多い映画はその場その場でキャラの説明が必要になるので、ユルい編集が上手く作用していたように思う。
 一方で、「ウルトラマンマックス」や「ケータイ捜査官」などのテレビ作品にそのようなユルさは感じなかった。「ウルトラマンマックス」などウルトラシリーズ屈指の名作にランクインされる一方で、三池印がそこここに刻印された作家性溢れるものであるにも関わらずだ。尺に制限がある方がデキが良くなるんじゃないかね。実をいうと、本作「ヤッターマン」も本編よりも最後にオマケとしてついている予告編の方が格段にデキが良い。


 じゃ、なんでそういう映画の評判が良いのかというと、深キョンドロンジョが良かっただの下ネタが最高だのといった、映画に仕込まれた「ネタ」の数々を文章として取り上げ易く、面白がり易く、盛り上がり易いに過ぎないからなんじゃないかと思う。編集のテンポやらカッティングやら、すなわち映像についてのあれやこれやを文章で議論したり話題にしたりするのは難しいのだな。

 もう一つ。これは想像なのだが、三池崇史は撮影現場にて発生するアイディアやアドリブを積極的に採用する監督であると思うのだが、本作のようなグリーンバック前での撮影が多い作品では、ある程度の段取りが必要になり、そういうのを最終的な完成作品に取り込みにくい、というのがあるのかもしれん。一年に三作とか平気で監督している三池崇史が現在の日本で一番そういうのが上手い監督であるとは思うのだが、「DOA」や「クローズZERO」や「IZO」などといった現代劇や時代劇なんかでは単にロケ地の移動やカメラ位置の変更で済むことが、アニメの実写化である本作ではセットを一から組みなおしたり、モーションコントロールカメラのプログラミング修正なんかの段取りが必要になってくるのではなかろうか。まぁ、完全に素人の想像レベルの話なのだが。



 ただ、アニメ版の「ヤッターマン」は本当に面白かったのか?というか、映像的に優れた作品だったのか?という疑問もある。


 「ヤッターマン」の魅力は一にも二にもキャラクターだ。類型的な正義の味方のパロディとしてのヤッターマンが、類型的な愛すべき悪役一味としてのドロンボーと、メタっぽいドタバタコメディを毎週毎週繰り返すところに魅力がある。物語なんてものはあって無きが如しで、一定のフォーマットを延々繰り返すのみ。キャラクターが成長したり、ニ年間を通してキャラクターの内面がちょっとずつ変化したりなんてことは、まずなかった(最終回くらいか?)。


 これが、本当に面白かったかどうか?映像的に優れているとはお世辞にもいえないが、まぁ、面白かったんだよね。脚本家が三秒で考えた冗談のようなゾロメカが面白かった。「これ絶対脚本に書いてないだろ?」的な台詞をキャラクターがどんどん勝手に喋りまくり、暴走していくところが面白かった。こんなにもくだらないアニメを全力で作っているタツノコプロってくだらないけれど、それを観ている俺様ちゃんはもっとくだらないぜ!とくだらなさを楽しめるところが良かった。



 で、今回の実写映画版「ヤッターマン」なのだが、映像的にはくだらないし、子供向けとしてはありえない下ネタもくだらないし、大金かけてオチはこれかよ的な脚本もくだらないけれど、そのくだらなさは確かに「ヤッターマン」であるな、と思ったよ。


 でもこの「ヤッターマン」が満員御礼で、映像的にも物語的にも映画的にも抜群にレベルが上である筈の「ダークナイト」や「アイアンマン」が不入りであるというのは、流石不思議の国ニッポンといったところなんだろうな、アメリカ人にとっては。
 本作がアニメ版の「ヤッターマン」など観たことも聞いたこともない外人が観るとどのような感想を抱くのか、ちょっと気になるところでもある。