フレッシュな現実

 何故、門矢士は自分がいない場所で交わされた会話の内容を知ってるんだー!エスパーかよ!?……というツッコミを心の脇でしつつも、毎回最終回みたいなテンションの高さで「ディケイド」のおかげで、ここ何年かぶりに日曜日が待ち遠しくてならない日々を送っているのだが、先週からはじまった「フレッシュプリキュア」も面白いわー。

 プリキュアってのはこの種の現代魔法少女ものに珍しく、恋愛要素が薄い所が一つの特徴なのだけれど、今回はいきなり第一話で青いプリキュアが「あたし、これから彼氏とデートだから」なんつってイケメン男子と手を組んで去っていくという衝撃の展開だったんだよね。おお、今回は今までのプリキュアとは違うぜ!大きなおともだちをガッカリさせる展開に、製作者の底意地をみたぜ!流石、頭身が高くて(「5」→「GOGO!」の時もいきなり大人っぽくなったけど)胸がデカめなだけのことはあるぜ!もう嫁に「プリキュアのファッションセンスは意外とダサい」なんて言わせないぜ!
 なんつって盛り上がっていたら、第二話で美男美女の完璧なデート風景を披露した後、その彼氏がサラりと意外な発言を。

「どう?パパとは上手くいってる?」
「うん。姉さんは?」
「あいかわらず。なんだかんだ言って、ママとの二人暮しは楽しいわ」

 いやー、正直なところ、姉弟ってのは予想していたけど、離婚して母子家庭ってのは予想外だったわー。
 保育園や幼稚園に子供を送っていくと実感するのだけれど、今の世の中、シングルマザーなんて当たり前なんだな。勿論、私のように男親が送り迎えしたり、色々な事情があるのか、祖父母が送り迎えする家庭もある。
 その一方で、テレビでやってる子供向けのアニメや特撮ものは、きっちりと両方の親がいて、主人公が楽しそうに暮らしている作品ばかりだ。私自身も、金と時間が無限大にあれば、さっさと嫁と離婚したいところだ。


 で、問題は、我々の周囲にあるそういった現実を、アニメや漫画といった作品にどう反映させるか?ということなんだな。


 例えば町山智浩はコラムでこう書いている。
キャプテン・アメリカはなぜ死んだか 超大国の悪夢と夢
町山智浩
4778311523

 『バスターからの手紙』に限らず、アメリカの子ども番組はいろいろな家族のあり方を見せることに意識的だ。たとえばクリスマスでもユダヤ系の家族はハヌカ、アフリカ系はクワンザを祝う。主人公の友達には片親の子どもや養子、身体障害者が必ずいる。少数派の子どもたちにも心の居場所を残しているのだ。
 それに対して日本のアニメ、いやTVドラマでもいい、身体障害者被差別部落出身者、いや片親の子どもが「テーマ」ではなく「日常」として当たり前に登場することがあるだろうか?

 いやー、来ましたよ。日本でも、片親の子供が「テーマ」ではなく「日常」として扱ったアニメが。オタ向け深夜アニメの主人公が処女かどうかで大騒ぎしている合間に、日曜朝の(一応)子供向けアニメはもっと先に進んでいたという、実にいい話だな。
 他に、「仮面ライダー響鬼」の明日夢くんも母子家庭だったけど、あれは響鬼の父性を生かす装置というか、きちんとした「テーマ」だったよな。魔法少女もので、こういう設定の作品って久しぶりなんじゃなかろうか。


 そうそう、魔法少女ものといえば、そのような方向性の極北にあるのは山本弘の「詩羽のいる街」に出てくる架空の漫画「戦場の魔法少女」だと思うねぇ。
詩羽のいる街
山本 弘
4048738844

 桜坂椎菜は小学校六年生、明るくてまっすぐな性格の女の子。ある日、裏山で化石掘りをしていて、奇妙な結晶体を拾う。その内部には太古から存在する「チカラ」が封じこめられていた。一三○億年前、宇宙誕生の際に飛び散った、創造の根源の力のかけら。言葉は喋るけど、それ自身の意思は持たず、善悪を超越した存在。憑依した知性体の意思に従い、無限の力を発揮する。
(中略)
 しかし、せっかく魔法少女に変身しても、しいちゃんにはすることがない。アニメの主人公と違い、毎週、事件に遭遇するわけではないし、この日本には戦うべき邪悪な敵も、達成すべき使命もないからだ。
 せっかくの魔法を何に使えばいいのか。悩んでいた時、彼女は新聞で戦争のニュースを読む。中央アジアの小国カルバスタンでは内戦が続いており、大勢の犠牲者が出ているという。しいちゃんは思いつく——自分が行って、戦争を止めよう。

 これは劇中劇ならぬ小説内漫画なので、実際にこういう漫画が存在しているわけじゃないのだけれど、もし実在したら魔法少女ものという枠で「ウォッチメン」をやる、みたいなテイストのものになるのではなかろうか。
WATCHMEN ウォッチメン(ケース付)
石川裕人秋友克也、沖恭一郎、海法紀光
4796870571


 今、「サザエさん」を観て「ここには本当の家族の姿がある!」と本気で感動する人は何か問題がある人だろうし、「ちびまる子ちゃん」のまるちゃんが十数年後に担当編集者と結婚して出産するものの離婚してシングルマザーになるという現実と、次第に遠く離れていったのと相関して作品それ自体の力が弱まっていったように感じるのと、無関係ではないだろう。
 「戦まほ」ほど極端でなくても、隣のアパートに人生に悩む子無し・未婚・三十代後半のお姉さんが住んでいるとか、主人公のお父さんが鬱病だったり祖父母が認知症だったりとか、主人公の手首にリストカットの痕が袖口から覗きみえていたりとか、そういう設定が「テーマ」ではなく「日常」として機能する魔法少女ものが、第二、第三の幾原邦彦細田守の手によって将来的に出てきたりしないかなぁ……などということを嫌がらせ的に話していたら、嫁が一言。


「『おジャ魔女どれみ』のあいこは?」


……東映動画はスゴいよねー。