すべてのオタよ、身体感覚を取り戻せ!「WALL・E/ウォーリー」

ウォーリー
 私は最近のピクサーが作るアニメには全幅の信頼を置いていて、公開日に観ることを心がけているのだが、今回も面白かった。
 ピクサー作品の魅力といえば一見して他社のCGアニメとの違いが分かる映像クオリティや、黄金期ハリウッドにリスペクトをはらった音楽の使い方や、キャラクター造形の確かさなどが挙げられるかもしれないが、私にとって第一の魅力はやはりシナリオだ。
 まずさ、彼らは自分自身にウソをついていないよね。

 ピクサーという集団は、端的にいって、オタクの集まりなのだと思う。彼らが青春期を過ごしたであろう70〜80年代のSF・ホラー等のジャンル映画、ビデオで観て研究したであろう30〜40年代のハリウッド黄金期の名作映画、自らの祖としてリスペクトを払うべきディズニー映画、80〜90年代にインパクトを与えたであろう宮崎アニメを初めとするジャパニメーション、そして勿論80年代以降のアメリカンコミック、そういったもので彼らの血肉が出来ていることは想像に難くない。
 これに、「物語に対する信頼」と、ほんのちょっぴりの悪意を足せばCGアニメの出来上がり……かと思いきや、実際はそう単純ではない。そういう映画、特にCGアニメ映画はごまんとある。どれも公開後数年でブックオフにてDVDが一枚500円以下で大安売りされるような映画ばかりだ。
 そういった安易なCGアニメと、ピクサー作品との違いは何なのだろうか?色々と理由は挙げられようが、第一にそれは、「自分たちの問題」を常に作品の中に入れ込んでいるからなのだと考える。

 以下ネタバレなのでご注意を。

 まずさ、ピクサーの社員というのはオタクだから、常にピザとかコーラとかカロリーの高いものを摂取しつつ、パソコンの前で座っている人々なわけですよ。だからドンドンとデブ化していくわけだよね。
 その一方で、オタクは意外にナイーブなところがあるので、世界に自分一人しかいないと思えるほどの孤独感を感じる時もあるわけだ。それこそ、「ある朝セカイは死んでいた」と表現できるような。

 つまりさ、映画の前半でWALL・E無人の廃墟の中で孤独に仕事をし、収集癖を発揮し、自宅では古い映画のビデオを観つつ、未だ見ぬ恋人に恋焦がれる姿は、かつてのピクサー社員の姿なわけですよ。まるで世界は廃墟のように味気ない所だけれど、いつか空から理想の恋人が降ってきて、恋と呼べるものをする日が来るんだろうか……女の子と手さえ繋いだことの無い俺だけど、いつか運命の女の子と出会えたら、例え彼女が病気になってもプレゼントしたりあちこち連れまわしたり一緒にゲームしたりして世話するのに……と夢想した、ハイスクールや大学時代の反映なわけだよね。

 その一方で、自らの力では動けないほどデブり、パソコンを介さなければ他人とコミュニケーションすらできない作品世界の人間もまた、ピクサー社員の反映だ。一回NHKのドキュメンタリーでピクサー社員の生の姿を観たのが、皆デブだったので間違いない。ここで面白いのは700年前に人間はきちんと実写の人間の姿をしていたのに、作品内での人間はまるで人間らしからぬ、デブデブな姿にディフォルメされている点だ。そう、人間は文明化によって恋を忘れ、活力を失い、デブ化し、もはや人間で無い者に変容してしまったのだ。流行りの言葉でいえば動物化してしまったと表現しても良いだろう。

 それは近過去と現状かもしれないし、「純粋で理想的で形而上学的な自分」と「客観的で卑近で悪意ある観点からの自分」かもしれないが、ともかく、自らのオタ・ライフが二つのレベルで描かれているわけだ。で、この映画は人間で無くなった人間が、人間の如く振舞うロボットに感化されて人間性を取り戻していくという物語であるわけなんだけど、昔好きだったアニメを現在鑑賞し直したらやはり魅力を感じたとか、昔影響を受けた小説を読み返したらその時は幼すぎて気づかなかった表現を理解できてまたしても影響を受けてしまったとか、昔感動した映画を観たらSFXや編集や演出の技術が古くさく感じたけれども芯に流れるスピリッツは古びてなくてやはり感動したとか、そして、毎日の生活はキツくて辛いけれども、この喜びを胸に明日からもう一度頑張ってみるか!廃墟のような世界にも勇気をもって一歩を踏み出してみるか!!フィクションから貰った勇気で現実に挑戦してみるか!!!*1……とでもいうような、ピクサー社員の経験や思いが込められていると感じるのは、それほどうがった見方でも無いと思う。「我々は生き延びたいんじゃない。生きたいんだ!」という艦長の言葉は、このままこの会社にいて上から降ってくる仕事をこなしていけば一生喰っていけるけれど、本当にそれで良いのか?というピクサー社員の思いが込められているのではないか。そう、映画には作り手のやむにやまれぬ叫びとか、現状に対する問題意識とか、狂おしいまでの欲求のようなものが必要なのだ。

 しかもさ、ここで重要なのは、WALL・Eが恋に憧れるきっかけとなるのが、昔の映画*2のビデオであるという点だ。敢えて「我々」という言葉を使うけれども、我々は上の世代からコピー世代と呼ばれてきたし、これからも呼ばれるであろうと思う。我々はゲームをプレイした経験からゲームを作り、アニメを観た経験からアニメを作り、映画を観た経験から映画を作ってきた。それが発想の貧困さや表現の限界に結びつくこともあろうけれども、ある意味で幸福な連鎖の一部を担えることは素晴らしいことなんじゃないかとも思った。畑でピザは育たないけどな。
ハロー・ドーリー! [DVD]
アーネスト・レーマン
B0007TFB30

*1:それはスイッチを「手動」に入れ替えるような些細なことでしかないかもしれないけれど

*2:1969年制作「ハロー・ドーリー!」