おやじ120%:『悪いやつら』

『悪いやつら』観賞。イイ顔したおやじが活躍しまくるおやじ万歳!な映画であった。


たいていの映画において、主役を務めるのは若者だ。何故なら、たいていのドラマはキャラクターの「成長」や「変化」を描くものであり、若者であった方が「成長」や「変化」を描きやすいからだ。
ジョン・ウェインイーストウッドといったおっさんが主演を務める場合、彼らが演じるのは「成長」や「変化」をしきった「英雄」的役割で、必ずといっていいほど観客の視点を代表する若者が用意される*1
ところが『悪いやつら』は違う。なんと最初から最後までおっさん目線だ。金子信雄視点で進む『仁義なき戦い』、みたいなものだ。


そして、主役のおっさん――チェ・イクションを演じるのは、よりにもよってチェ・ミンシクである。オールド・ボーイ プレミアム・エディション [DVD]
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北朝鮮で餓死した子供の肉を食う国民を目撃し、15年間監禁され、カナヅチ片手に子供や女を殺しまくり、ソウルで殴られ屋をやったあのチェ・ミンシクだ。イ・ビョンホンという悪魔を見たのも数年前、でっぷり太ったチェ・ミンシクは、今やおやじ力120%のおっさん――立派なおやじである。
映画はおやじが釜山で小悪党な小役人だったころからはじまる。白髪交じりのチェ・ミンシクが「おいおい、そんなことされたら困るよう」とニヤニヤしながらジャケットを開き、自然な形で賄賂を受け取るさまが良い。良すぎる。


そんな小悪党なおやじが、ハ・ジョンウ演じる裏社会の若者に触れる。当然、ボッコボコだ。いい年こいて声をあげ、涙を流して泣く、でっぷり太ったチェ・ミンシクが、悲愴というより滑稽で、また良い。
そしておやじは逆襲する。おやじは体力でも暴力でも格好良さでも若者に勝てない。しかし、おやじが若者に勝てる武器が二つだけある。それはコネと腹芸だ。こっぴどく痛めつけられた相手が遠い親戚だと知るや、相手より格上の親戚を呼び出し、酒席を設け、三者で会談するのだ。
韓国は儒教社会だ。様々なコミュニティでの上下関係に基づいた因習がある。目上の人間から「イクションさんには昔お世話になったんだよー。おまえもイクションさんから勉強しなさい」などといわれたら、たとえそのイクションさんがこの前ボッコボコにしたおやじであっても、従わざるをえない。
驚くべきことに、『悪いやつら』ではこの構図が三度も繰り返され、その度ごとに主人公のおやじは危機を乗り越え、ビッグになっていくのだ。


そしてそしておやじは成長する。宮史郎そっくりなヤクザの右腕が見守る中、かつての上司に逆襲するさまはすべての親父の夢だ。ここでおやじは覚醒する。小悪党だったおやじが、自分で自分の人生を選択するおやじに生まれ変わるのだ。ダブルのスーツに身を包み、韓国懐メロをBGMに釜山の街をGメン'75歩き、しかもスローモーション! ここでテンションの上がらないおやじはおやじじゃない! ただの年老いた男だ。
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↑あまりにも格好良いのでTシャツになったことにも納得。


汗やら涙やらといった汁――通称「おや汁」を流しながら活躍しまくるチェ・ミンシクは、はっきりいって魅力的だ。若い愛人を抱けば満面の笑顔、調子に乗りすぎてボコられれば泣きながら命乞い、裸にされ地面に埋められ小便をかけられても、おやじ特有のバイタリティで復活する――そんな姿がどうしても憎めない。チェ・ミンシクを憎むことは自分の中のおやじ性を憎むことでもあるからだ。



真面目ことを書けば、本作は儒教的価値観が喪われつつある、いや、変化しつつある現代韓国についての社会批評だろう。いつの時代のどこで行われたか分からない話ではなく、韓国にとって「前近代」だった80年代、大統領が「犯罪との戦争」を謳った90年代、そしてグローバルも極まった現在と、きちんと時代が明示されるのは、時代性を切り取ろうという努力の現れだ。
つまり、長幼の序や家父長制を重んじる韓国儒教社会が、グローバルな能力主義の導入により崩壊しかかっているところに、場の雰囲気やら細かい法律やら実力やらを押し退ける「おやじ力」で無理やり儒教社会を部分的に復活させる――自分に都合の良い上下関係を成立させることで、若者を喰いものにしてのし上がっていく話なのだ。先輩からの圧力に抵抗しようとする検事やハ・ジョンウ演じる若者ヤクザは現代性の象徴だ。ハ・ジョンウの内面がほぼ描写されず、最後まで謎のままなのがまた良い。おやじと若者は交われない。完璧に交感できない。おやじにとって若者の心は謎なのだ。


だが、すっかりおやじになった自分の目からみると、何者でもなかったおやじが成長し、若者には真似のできない「おやじ力」で混迷極まる社会をサバイブしていく話にみえる。チェ・ミンシクはカタギでも極道でもない「半端物」だ。だが、そこにこそチェ・ミンシクの強さがある。カタギと極道の合間をコネとコミュ力で取り持ち、Win-Winの関係性を築き、利益を得る。さまざまなトラブルを電話帳で解決し、血なまぐさい抗争を腹芸と酒席と泣き落としで回避する。全ての若者はかつてコミュ障でひきこもりだった。時間と若さを犠牲にして、一つ一つコネクションを勝ち取り、コミュニケーション能力という名の謎の力を育成していった結果、おやじなるのだ。つまり、コネとコミュ力こそが「おやじ力」だったのだ。どんなにイケメンで、どんなにケンカが強いハ・ジョンウも、この「おやじ力」には勝てない。もし勝つ目があるとすれば、自分もおやじになるしかない。


一方で、おやじは背負うものが多いからおやじであるわけでもある。おやじには嫁もいれば子供もいる。若者を喰いものにして自分だけ生き延びるわけにもいかない。目上のものが利益を貪るだけでなく、責任を伴うからこその家父長制であり儒教社会なのだ。
本作のチェ・ミンシクには二人の息子がいる。実子とハ・ジョンウだ。「父なし子にするなよ」というのは、ハ・ジョンウにとっては脅し文句に過ぎない。しかし、チェ・ミンシクにとっては「どちらの若者を優先するのか」という選択になるのだ。


だから本作がハ・ジョンウの台詞で終わるのは象徴的だ。あれは生き延びたおやじ――チェ・ミンシクにとっての後悔でありつつ、おやじになることで復讐を果たそうとする若者――ハ・ジョンウの声でもあるのだろう。



面白いのは、本作の監督ユン・ジョンビンは1979年生まれの34歳であるところなんだよね。若者でもおやじでもない……というか、若者がおやじに片足つっこみつつあるくらいの年齢だ。
しかも、過去作には全てハ・ジョンウが出演している。
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『許されざるもの*2』など、『チェイサー』でブレイクする前であるにも関わらず、だ。
本作はハ・ジョンウからチェ・ミンシクへの愛憎であり、若者からおやじへの愛憎でもあるのだ。全ての若者はおやじになる。おやじになったら開き直るしかない。

*1:グラン・トリノ』が特別なのは、最初から最後の直前まで置いたイーストウッドの視点で描かれるからだ。

*2:当然、西部劇の方でも明治時代の北海道の方でもないよ