巨人とはなにか:『進撃の巨人』

最近友人が増えたのだが、その中の一人から「これ、読んだことありますか?」と一冊のマンガをお薦めされた。読んだら、もの凄く面白かったので紹介したい。


お薦めされたのは『進撃の巨人』というマンガだ。
進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)
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一言で言ってしまえば異世界ファンタジーなのだけれども、目の大きなアニメ絵の美少女が大量に登場して、気弱で奥手で喪男な主人公にツンデレたりヤンデレたりするような「異世界ファンタジー」マンガとは一線を画している、ということだけは強調しておきたい。



内容についてもっと具体的に説明すると、『進撃の巨人』というくらいだから巨人が登場するわけですよ。しかもこの巨人は人間をむしゃむしゃ喰う! 突如出現した巨人のせいで人類は滅亡の危機に! そこで人類は都市の周囲を高い壁で囲い、その中に引き篭もって暮らすようになってから百余年……という所から物語は始まる。
で、この壁は一言でいうと村上春樹が「壁と卵」でいうところの「壁」なのだな。だから周囲のオトナ達や、同年代の子供や青年でも性根からつまんねー奴らは、ずっと壁の内側で安全に暮らしてれば良いじゃん! というのだけれど、正しく少年マンガ的性格を持った男子はそんな状況に我慢できないわけだ。そんな生活、実は奴隷と同じじゃないかと。生きてると言えるのかと。壁の外に出て本当の意味で生きることを考えるべきだと。
そんな時、壁を破壊する能力を持った超大型巨人が現れて……というのが冒頭のストーリーになる。


まず感じるのは作中に漂う緊張感だ。さっきまで笑顔で話していた家族が、仲間が、恋人が、次のコマでは巨人に喰われている。自分の身を犠牲にして子供を逃がした母親が、喰い殺される直前に後悔する悲愴感。イキがっていた若者が、実際に巨人を目の前にして体をすくませるリアルさ。一瞬でも気を抜いたら喰い殺され、人類は滅亡するんじゃないかというギリギリ感が全編に渡り漲っている。宇野常寛ならゼロ年代特有のサバイヴ感や決断主義がなんたらかんたら〜とでもいうのだろうか。



本作を読んで私が真っ先に頭に思い浮かべたのはゴヤの『巨人』、そして『我が子を喰らうサトゥルヌス』だ。絶対に作者はイメージソースの一つにしていると思う。これらの絵がナポレオン侵攻時のスペイン独立戦争や、聴力を失った語やの絶望の隠喩として書かれたのではないかという評は有名だ(『巨人』は弟子の作ということになったらしいけど)。
ゴヤだけではない。昔から巨人というものは戦争や飢饉、一般庶民では抗えないクライシスのメタファーであった。ゴヤにとってのそれは(家族や友人を殺されたであろう)スペイン戦争だった。我々にとってのそれは何か。『進撃の巨人』の巨人が意味するものとは何か。
主人公の年齢、士官学校の卒業直後というタイミング、壁の外に出ようとしない若者達、タダメシを喰らう「駐屯軍」……そういうのを鑑みれば、答えはおのずと明らかだろう。


あと本作、世界観の演出とか伏線の張り方が上手い。たとえば「塩なんて宝の山」という台詞があるのだけれど、このような閉鎖的環境では塩が貴重品になるという事実になかなか気づきにくい、ある程度若い世代は。
たとえば、『ガンダム』のタムラ料理長は塩たらねー! と訴えていたけど、『ガンダムSEED』には料理長すら登場しなかった。富野由悠季のような日本にモノが無い時代に育った世代ならいざ知らず、飽食の時代に育った若者が「塩は貴重品」という設定を生み出すにはセンスが必要だ。
また、おまけページにちょっと書いてあるけれども、門を取り囲むように作られた外縁部の街とか、いかにも人減らしっぽい「人類の二割を失った反抗作戦」とか、この先の伏線になりそうな設定をさりげなく伝える手腕にも優れていると思う。


ただ欠点もあって、この作者、あんまり絵が上手く無いんだよね。いや、正確に書くと、イラストレーターとしての絵の上手さは無くて、しかしながら構図やネーム力はあって、荒い絵が一つのマンガ作品としての魅力に貢献しているという感じか。
本作の宣伝として「『AKIRA』以来の衝撃!!『ベルセルク』以来の絶望!!」というコピーが書かれたチラシがついていたが、そういう意味では並び称されるべきは岩明均かもしれないな、なんて思った。
ヒストリエ(6) (アフタヌーンKC)
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