事件は会議室で起きてるんじゃない 、マンガノゲンバで起きてるんだ!

コミックビーム 2009年 10月号 [雑誌]
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「芋虫」も無事完結した最近のコミックビームで話題作といえば超変漫画家上野顕太郎がギャグを封印して妻の死を描いた「さよならもいわずに」であると思うのだが、ここ数日ビーム関連でホットな話題といえば唐沢なをきによる「マンガノゲンバ」の取材拒否事件と、それをすぐさまネタにした「まんが極道」に関してであろう。

ヌイグルメン!」などの作品で知られる漫画家の唐沢なをきさん(47)が、NHK衛星第2「マンガノゲンバ」の取材を途中で打ち切り、番組放送中止を要請したことが、14日、わかった。妻でエッセイストの唐沢よしこさんが自身のブログで明らかにした。番組では漫画家の仕事現場に密着し、作品の魅力に面白さの秘密をさぐる。ブログによると、中止を要請した理由について、「インタビューが誘導尋問的」だったと説明。「この番組の取材、ほんっっっと〜〜〜〜に不愉快だったから」とも綴られており、取材方法をめぐってトラブルがあったようだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090914-00000516-san-ent

ブログでも妻よしこが経緯について書いている

マンガノゲンバ』の取材、放送を中止してもらった理由ですが、この番組の取材、ほんっっっと〜〜〜〜に不愉快だったからです。びっくりしました。
なんというか、インタビューが誘導尋問的なんですよ。ディレクターさんがなをさんに質問し、それになをさんが作画しながら答えるというところを撮影してたんですが、なんか、このディレクターさん、勝手に頭の中で「ストーリー」を作っちゃってるんですよね。唐沢なをき像というか。


(中略)


で、インタビューでディレクターさんの質問に対し、なをさんが彼の考えた「ストーリー」に反する答えを言うとします。すると、彼はがっかりした顔で苦笑しつつ、「いや、そういう答えじゃなくて〜」と、別の答えを要求するんです。自分の「ストーリー」に即した答えを言うまで許してくれないんですよ。自分のインタビューに対する答えを、質問する前から想定してるんです。
で、結局、なをさんがストーリーに合わない答えしか言わないと、「あー、それじゃあですね!」と、なんかあからさまにイヤそーに別の質問に切り替えたりして。
このイヤそうな態度を見てると、「この漫画家、使えない答えしか言わないなあ」って思われてるような気がしてきて、早くこの場から逃れたい、解放されたいという気持ちになって来るんですよ。「ちゃんとした、良い答えがいえない俺……」って、罪悪感を感じてくるんですよ。で、つい、相手が望みそうなことを、本意でないのに言ってしまうという。……誘導尋問的じゃない?

からまんブログ:『マンガノゲンバ』の件


これを読んで真っ先に思い出したのが、「選挙」や「精神」で有名なドキュメンタリー監督想田和弘の著作「精神病とモザイク」の一節だ。
想田監督は「選挙」や「精神」を撮影する以前、ニューヨークの映像制作会社に所属してNHK向け(!)のドキュメンタリー番組を制作しており、アメリカの養子縁組をテーマにした「インターネットで家族が生まれる」や、インカの祭りに取材した「太陽の祭り・インティライミ」などを発表したりしていたそうなのだが、その時のことについてこう書いている。

しかし、あれほど刺激的で、自分にとって新しかったドキュメンタリー番組作りも、数をこなすうちに目をつぶっても撮れるくらいに熟練してしまった。撮る前からどんな番組になるか予想できてしまう自分と、マンネリ化してきた仕事内容に、いつしか苛立ちを覚えるようになった。次の瞬間に何が起こるか予想できないのがドキュメンタリーの醍醐味なのに、何かがおかしいと感じた。
そして、この問題の根源は、ドキュメンタリーそのものにあるのではなく、テレビ用ドキュメンタリーの予定調和的作り方にあるのではないかと、僕は考え始めた。
例えば、テレビ用のドキュメンタリーを作る際には、撮影する前に入念なリサーチと被写体との打ち合わせを繰り返し、予め構成表と呼ばれる台本を作り上げるのが常である。構成表には、どういうシーンや映像を入れるのか詳しく書き込み、仮想のナレーションまで書くことを要求される。酷いディレクターになると、登場人物がインタビューで喋る内容まで、自分の想像で書き込む。もちろん、適当なエンディングも用意する。逆にいうと、そうした番組の青写真を描き、プロデューサーのお墨付きを得なければ、撮影隊を出すことは許されない。当然、撮影は構成表をなぞる形で進められてしまう。
カメラマンは現場で構成表をポケットから取り出し、「ええと……、このシーンはこういう趣旨だから、こういう絵か」などとつぶやきながら、目の前の現実よりも紙に書かれた想像の世界を頼りにカメラを回し始める。ディレクターは、被写体が企画の趣旨に合った発言をするよう、誘導尋問に躍起になる。そしてシーンが予定通りに進まないと、「構成表にない展開だ。どうしよう!」とパニックに陥る。編集室へ帰ると、台本で想定していたシーンが撮れなかったことに、「これじゃ番組が成立しない!」などとプロデューサーが声を荒げる。そういうプロデューサーの顔を想像したディレクターは、ついつい現場で「やらせ」に走る……。
こうして、本来は「事実は小説よりも奇なり」を地で行くはずのドキュメンタリーは、作り手の貧困な想像の域を出ないお粗末な「小説」に成り下がるのである。
構成表至上主義がテレビ・ドキュメンタリーを硬直化させ、多くの作品が金太郎飴のごとき紋切り型で安全な「製品」に終わってしまうことの元凶であることを、製作現場の人間は真剣に受け止めるべきではないかと思う。フィクションと異なり、設計図がないのがドキュメンタリーの存在意義であり、危うさであり、面白さであるはずだ。

精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける (シリーズCura)
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想田監督はこの時の経験が反省となって、構成表も事前取材もテロップもナレーションもないドキュメンタリーである「選挙」や「精神」*1を撮ることにしたのだそうだ。
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山内和彦
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果たして「マンガノゲンバ」取材拒否事件の真相は、担当者が想田監督いうところの「酷いディレクター」であったというのが原因なのだろうか。


燃える漫画家こと島本和彦はブログでこう書いている。

前に私島本が出た時の撮影時もきっと同じスタッフだったと思うのですが…

それほど

というか



私は全然なんともなかったです…

ちゃんとした人たちでしたし、取材後も気持ちは良かったくらいで

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これは単にディレクターがどうしようもない奴だったという問題なのだろうか?それとも、人と人との相性の問題なのだろうか?


まずいえるのは、ドキュメンタリーにおける「やらせ」が問題だという単純な話ではなかろう、ということだ。
唐沢よしこもブログで書いているけれど、唐沢なをきは取材時の「ヤラセ」というか演出に対して否定的ではないんだよね。

なをさんは、別にヤラセに対して否定的ではありません。『とりから往復書簡2』でも、そういうこと書いてますよね。出演者も楽しい、視聴者も楽しい、というヤラセのウソはアリだと思います。だから、「NHKの番組のヤラセを怒るということは、唐沢なをきの漫画はすべて真実なのだな!」と極端に考えられては困ります。
テレビ番組で素人使うとなったら、絶対になんかしらヤラセはやらざるを得ないでしょう。ヤラセまで行かなくても、事前に流れを決めてそれに沿ってしゃべってもらったり、とかね。
マンガノゲンバ』はドキュメントっぽいけど、別にドキュメント番組というわけではない(と、思う)ので、ヤラセとか仕込みがあっても、なんとも思わないです。というか、あって当然です。
しかし、その仕込みやヤラセに協力させたいならば、ちゃんと漫画家に事前に協力要請するべきではないでしょうか。放送前に、どういうビデオを流すか確認させてくれるわけじゃないんだから。

からまんブログ:『マンガノゲンバ』の件


で、件の「とりから往復書簡2」にはどう描いてあるかというと、許容できる「ヤラセ」の例として

  • 原稿用紙に向かって漫画書いてるフリ(お安い御用らしい)
  • ほりのぶゆきと砂場で怪獣いじりながら対談
  • 付け髭+黒い服という博士の扮装でCS番組出演
  • 怪奇版画男」漫画賞受賞時の取材にて棟方志功ライクに写真撮影

等を挙げている。まぁ、最初意外はネタですな。
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そんなわけで、唐沢サイドは「ヤラセの強要」ではなく、「説明不足」に怒っているわけだ。コミュニケーション不全というわけだ。



たださ、これはディレクター一人を断罪して済む問題じゃないと思うのだよね。多かれ少なかれシステムの問題があるに違いないと思う。
私は余程興味の無いテーマで無い限り「マンガノゲンバ」を視聴していて、最初に名前を出した上野顕太郎が即興でギャグマンガを生執筆する回なんかは名作だと思っている。
ただ、おそらく今回唐沢なをきが登場する予定だったコーナーは「サクシャノゲンバ」と呼ばれているドキュメンタリーパートであろう。時間にしてニ、三十分ほどだ。取材期間もそれほど長いわけではあるまい。例えば、昨日同じくNHKにて同じく漫画家の井上雄彦に取材した「仕事の流儀」が放送された*2が、取材時間も予算もケタが違う筈だ。
だからといって、取材対象である漫画家に失礼な態度をとって良いわけがない。しかし、撮影を進めるに連れてディレクターが当初思い描いていた構成と違ってきた場合と異なってきた場合はどうか。期間や予算に余裕がある場合は「現実」を優先し、構成を修正するだろう。しかし、「仕事」として軽いもの、時間も予算も余裕の無い場合は、「現実」よりも構成表を優先し、「現実」の方を修正しようとするのではなかろうか。「いや、そうじゃなくてー」といった具合に。


しかもこれは、どの企業でも経費削減・コスト削減が叫ばれる昨今、決して他人事ではない問題ともいえる。医療過誤JR福知山線脱線事故などはこの延長線上にある問題なのではなかろうか。
また、将来、何がどう間違ったのか自分がテレビ局や出版社*3取材を受けることになった際、同様の問題に直面する可能性は大いにある。



……そんなことに考えが及んでしまうのは、つい最近自分も似たようなことが仕事で起ったからなんだよね。
自分の仕事の一つに大学や病院の先生と共同で研究したり調査したりってのがあるのだが、ちょっと前にいきなり激怒メールが送られてきてビックリしたことがあった。二週間くらいかけてメールや電話のやりとりをして、お互い誤解や行き違いがあったということで収まったのだが、こういう時に直接顔をつき合わせて話できればすぐに解決できただろう。もっといえば、普段から親しく酒呑んだり無駄話するような仲なら、感情的な行き違いも起こりにくかっただろう。
でも、その先生は九州に住んでいて、「ちょっと一緒に酒呑むんで九州行きます!」なんて言っても、出張許可なんて下りないわけよ、当り前だが。「お怒りなんで九州行かせて下さい!」でも駄目なわけよ。経費削減だから。


マンガノゲンバ」の場合はディレクターと漫画家がきっちり顔を合わせられる環境だったわけだが、本質的には同様の問題に思える。そういえば、「オタク大賞」で鶴岡法斎が「最近の編集と漫画家はもっと酒呑んだり飯喰ったりした方が良い」なんて言ってたな。結局、そういうことなんだろうな。

*1:想田監督はこれらの映像スタイルを「観察映画」と自称する

*2:20分遅れで、最後まで録画できんかった……NHKのバカ!

*3:この問題はテレビに限らないだろう