センス・オブ・ワンダー:『ヤノマミ(DVD)』


童貞の頃ならいざ知らず、自分くらいの年になると、どんなに刺激的な本や映画を観ても、価値観を揺るがされるほどの衝撃を感じるという経験を得る機会というのがめっきり減ってしまう。いわゆるおっさん化だ。
きっとこの先、齢を重ねるごとに、どんどんそういう経験は減っていくだろう。何をみても「つまらん」とか「たいしたことない」と言っていた祖父ちゃんの姿を思い出す。そして、どうみても制作費の安そうな東映ライダー映画を食い入るような目でみつめる息子や、『ライラの冒険』の予告編ごときに本気で怖がる娘の姿をみると、微笑ましく感じると同時に、なんだか羨ましくなってしまう。自分の価値観や世界観を揺るがされるほどの衝撃というのは、それだけ自分の世界が広がるということで、はっきりいって快感であるからだ。


それでも幸運なことに年に一、二回はそのような経験がある。先日DVDで観た『ヤノマミ』がそれだ。
NHK-DVD ヤノマミ~奥アマゾン 原初の森に生きる~[劇場版]
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このDVDは昨年NHKで放映された「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」を劇場用に編集し直したものだ。延べ150日間にわたってヤノマミ族と同居し、取材した映像を元に作られたドキュメンタリーで、撮影の許可を得る為に、ブラジル政府やヤノマミ族の長と10年越しの交渉が必要だったらしい。


何が凄いかって、冒頭のツカミが凄い。
ヤノマミ族には人間と精霊と虫という考え方がある。人間は死んだら精霊になって天にのぼる、精霊も最後は虫になって消える、という価値観だ。
「ヤノマミ」とは彼らの言葉で人間という意味だ。取材班みたいな外部の人間は人間ではない。だから人間以外のものという意味で「ナプ」と呼ばれる。生まれた赤ちゃんも、人間ではなく精霊とされる。人間として育てるか、それとも精霊として天に戻すか、生んだ母親に決定権がある。
で、精霊として天に戻すってのが具体的にどういうことかというと、白蟻の巣に赤ちゃんを埋めて、白蟻に食わせるんだよね。この映像を冒頭5分で流す蛮勇には恐れ入った。これ、TV版でも放送されたのかな?


これだけ聞くとヤコペッティの『さらばアフリカ』みたいなモンド映画を連想する人もいるかもしれないが、その後の内容は全く違う。ヤノマミは命というものをどう考えているのか。何故ヤノマミは死体を蟻塚に入れるのか。何故ヤノマミは森で生き、森で死ぬのか。そういったことを延々説明するのだ。しかも、言葉では無く映像で。理屈ではなくイメージで。


たとえば、狩猟で得たバクを解体するシーン。体長二メートル以上あるバクの腹にナイフを差し込むと、ぼろぼろと内蔵がこぼれ落ちる。バナナの葉に包み、集落の皆に配るシーンが大写しになる。いかにもなシーンなのだが、バクは雌で、胎児が取り出される。
ヤノマミの子供達は胎児に興味があるらしく、この前に採った野生のブタ(イノシシ)の胎児の体を興味深げにつっついたり、脚を引っ張ったりして、遊んだりしていた。胎児はヤノマミにとって特別なのだ。
そこに、こんなナレーションがかかる。「ヤノマミは胎児を決して食べない。胎児はそのまま置かれ、森に還される」しばらくすると胎児に蝿や蜂がたかり、肉を持ち去ってゆく。


たとえばサルの狩猟。サルは御馳走だ。だから、ハンモックに寝転がった少年がサルの頭蓋骨の眼窩に指をつっこみ、べちゃべちゃ舐め上げるというぎょっとするシーンが映し出されたりする。
一方で、ハンモックに寝転がった少女がサルの子供をいとおしそうに抱いていたりもする。サル猟で親を殺され、みなし子となったサルを少女がひきとったのだ。少女はサルの口を無理矢理開き、自分の唾液を飲ませる。自分の、人間の匂いを覚えさせる為だ。
で、サルに唾液を含ませる少女の姿は、まるで子供に乳をやる母親みたいなんだよね。


この少女に限らないのだけれど、ヤノマミ族の姿はどことなく日本人に似ている。遥か昔に地続きだったベーリング海峡を渡った同じモンゴロイドなのだから当然といえば当然なのだけれど、特に年齢の若い者ほど親近感を感じる。子供なんて、ぱっと見は裸で遊んでる幼稚園児みたいだ。


そのまま観ていると、サルをひきとった少女は妊娠する。彼女は14歳。父親は誰か分からない。ヤノマミ族で珍しくないことらしい。
この場合、少女の子供は少女の父――すなわち祖父に扶養の責任が発生する。女性も畑で作物を育てたり魚を採ったりするが、基本的には男性家長が狩りをし、ブタやらサルやらをとって、一家を食わさなくてはならないのだ。


その後、少女は産気づく。14歳の初産なので、出産には丸二日かかる。ヤノマミ族は森で出産する。陣痛に耐えながらハンモックでの寝起きと森への移動を繰り返す少女。母親が立ちながらお辞儀の様に体を前傾させ、その母親の腰に手を回して体を宙吊りにしていきむ姿に、病院も出産ベッドも無い場所で人間はこのように出産するのかという素朴な驚きを感じた。


で、冒頭の白蟻の巣に埋められた嬰児は、この少女の子供だったことが判明するのだ。


我が子を精霊のまま天に戻した少女に、父−−子供の祖父となる筈だった男は言う。
「森は大きい。歩けないほど大きい」
自分は文明人なもので、それもオタクなもので、何故か『甲殻機動隊』の最後の台詞「ネットは広大だ」を思い出したりした。


その後、白蟻の巣が映る。巣の至る所から白蟻がびっしりと触手を出している。太陽の光を浴びながら無数の触手がゆらゆらと動めいている。まるでサンゴのようだ。


ここまでくると、冒頭の「子供を精霊に返す」シーンの印象は180度変わってしまう。結局、これは我々の社会にある中絶と何が違うのだろう。昔は間引きというものがあった。今でも、赤ちゃんポストや、コインロッカーベイビーというのがある。それよりもマシなんじゃないのか? なんて考えも頭の中に浮かぶ。


この番組は放送文化基金賞の優秀賞を受賞したのだが、ディレクターの「受賞のことば」が全てを言い表しているような気がした。

【優秀賞】ハイビジョン特集 ヤノマミ 〜奥アマゾン 原初の森に生きる〜
 街中で死骸を見かける事が少なくなった。食べる者と殺す者とが別々なせいか、肉を食べる時に心が痛むこともない。しかし、ヤノマミの世界は違う。自分で奪う命は自分で殺し、感謝を捧げた後に土に還す。今日動物を捌いた場所で、明日女が命を産み落とす事もある。死は身近にあって、いつも生を支えていた。それは、余りにもリアルだったから、何度も打ちのめされた。私たちは死を想うしかなかった。そして死を想うことは生の輝きと同義なのだと言い聞かせて、番組を作った。力及ばず、正視できない人がいたとすれば、それは、私たちの責任だ。彼らは<野蛮>でも<凶暴>でもない。よく笑い、怒り、遊び、泣く。まさに、人間そのもの、だった。
NHK 国分 拓

放送文化基金賞 | HBF 公益財団法人放送文化基金

ただ、何点か腑に落ちないこともあった。
原始狩猟生活をしているヤノマミだが、ほとんどの男は短パンを履いているのだ。また、全員ビーチサンダルのようなものを履いている。動物の解体にはナイフ――それも石ではなく、鉄製らしきものも使っている。勿論、綿製品やゴム製品を作る工場や、製鉄所がジャングルの中にあるわけではない。


ディレクターの国分拓はこの取材をもとにしてルポルタージュも書いている。
ヤノマミ
国分 拓
4140814098

これを読んで、理由が分かった。
(続く)