ウルトラマンと人間と神:『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』

ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』を年末に観たのだが、スゲー面白かったよ!
ウルトラマンの新しい一歩に相応しい秀作だと思うのだが、どこがどのように面白かったかについて、きちんと書いておきたい。


思い返せば、昨年の映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』は一つのターニングポイントだった。
円谷プロの経営母体が変わったという意味だけではない。それまでウルトラシリーズは基本的に人間の視点で話が進み、ウルトラマンは神も同然だった。だが、段々とウルトラマンの視点でも物語が語られるようになってゆき、遂には完全にウルトラマンが主人公となったが、つまりそれはウルトラマンの人間化であった……というのが自分の見方の大意だ。詳しくは一年前に書いたエントリを読んで欲しい。
神と人間とウルトラマン:『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな
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で、今回の映画なのだけど、地球人が一人も登場せず、最初から最後までウルトラマン――それも新ウルトラマンであるウルトラマンゼロの視点で話が進むという、天晴れな内容だった。


何が素晴らしいかって、新シリーズが若者ゼロの視点でどんな物語を語るのかというと、兄さんたちと同じように異星の心美しい若者に共感し、同化し、共闘し、救い、別れるのだ。この「異星」が地球だと『メビウス』になってしまうのだが、観客にとってもウルトラマンにとっても異世界であるところが素晴らしすぎる。最後までウルトラ親族は実家を守ってるだけで、上京してゼロを助けないってのも良かったね。


で、早い話、本作は異世界でのゼロの冒険譚なのだが、これがもう昭和ウルトラシリーズを連想させる描写ばかりで、最高だった。


たとえば、ゼロと異星の若者との同化のシークエンス。
ゼロは、命をかけて崖から落ちそうな弟ナオを救ったランの美しい生き様に共感して、同一化するのだけれど、これが親父のセブンのエピソードを引用しているのは間違いないと思う。つまり、セブンが仲間を救うためにザイルを切った青年薩摩次郎の勇気に感動して、彼をモデルにモロボシ・ダンという人間体を作り上げたエピソードのことだ。
で、ランと同化したゼロは、早々に自分の正体をナオにバラす。昭和のウルトラシリーズは最終回近くまで自分の正体を明かさないのだけれども、映画版は話を早く進めなきゃいけないので仕方が無い。と同時に、薄暗い洞窟の中で、ランと同化したゼロがナオとガッチリ握手するシーンには何故かウルウルするんだよね。兄さんたちと比べて粗暴な言動や振る舞いが多いヤンキー気質なゼロだけれども、どこの星のどんな生き物でも仲間として接する金城哲夫コスモポリタン精神というか、「弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ち」みたいなのをしっかりと受け継いでいるのだな。
一方、弟のナオなのだけれども、子役が年齢の割に演技上手くて、なおかつ元気いっぱいで、明るくて、なんだか『帰マン』の坂田次郎みたいだた。特に、長身の小柳友の横で飛んだり跳ねたりしている濱田龍臣の姿は、同じく長身だった団次郎の横にいた川口秀樹を強く思い起こさせるんだよね。髪型もなんとなく似ている。
また、全ての敵を倒した後、ゼロはナオやエメラダ姫と別れるのだけれど、この別れのシーンが昭和ウルトラマンにて何回も何回も繰り返されてきた最終回シーンそのままなんだよ! もう、いつゼロが「ウルトラ5つの誓い」を口にするのか、それとも「やさしさを忘れないでくれ」と最後の言葉を残すのかとドキドキしていると、「あれ、僕はたしか竜ヶ森湖で……」みたいな台詞を吐くわけだ。


こういうの、『メビウス』だったらいちいち旧作のフィルムを半透明でインサートしたり、長い説明台詞を入れたりして(まぁ、その他の部分で説明台詞は多かったけれど……)、いちいち説明していたのだろうが、本作は説明なんて全くせず、「分かるヤツ(おっさん)だけ分かってくれ!」という姿勢を貫いた演出で、潔かった。
二時間を切る上映時間にも関わらず、お腹いっぱいな満足感を得られたのは、テレビシリーズを全部やりきるような構成の上手さがあったからだろう。
おまけに、「神」として登場するのは失敗作の烙印を押された「ULTRA N PROJECT」のウルトラマンだったりする。その理由は、おそらく監督のフィルモグラフィーに起因するものと思うのだが、色々と深読みできた。


また、ウルトラシリーズという見方を離れて、スペースオペラものとしてみても、本作はかなり出来が良い。アステロイド漂う隠れ宙域や鏡の国の異世界っぷりとか、グリーンバックのみでなく要所要所にロケやセット撮影を挟む思い切りの良さとか、より多額の予算をかけたであろう『SPACE BATTLESHIP ヤマト』よりも作品世界に広がりや奥行きが感じとれたりした。
特に、CGIでの素材合成を前提にした画作りに馴れてないのか、前作では説明的でダサかったレイアウトが、一気にカッチョ良くなったのは嬉しかった。ランが流した数ミリほどの涙の粒から身長数十メートルのミラーナイトが飛び出るという、文字にして書けばなんてことないシークエンスを、カッチョ良い映像で見せきるのは至難の技だと思うのだが、見事に実現していたのは特筆すべき点だ。


こんな感じで、親は昭和ウルトラシリーズの引用に涙を流し、子供は異世界での若者ウルトラマンの活躍に胸ワクワクさせるという、二世代が楽しめる良作なのだけれども、自分が一番上手いと感じたのは、ウルトラマンが正義側で、善性を担保する理由であったりする。


21世紀も10年を経過した今となっては、たとえ子供向け番組といえども正義が正義であり、善が善である理由が必要だ。主人公=正義、何故なら正義=主人公だからというトートロジーは通用しない。
この点に意識的であるのが平成仮面ライダーである一方、全く気にしてなかったのが『ヤマト復活編』だ。その差はそのまま作品としての成功や失敗に結びついていた。


そもそも、もともとウルトラシリーズってのは、主人公側である人間が本当に正義で本当に善なのか? という問題意識をシリーズ当初よりテーマの一つとして持っていた。これは時代を下ってもそれなりに受け継がれていった。人間=ウルトラマンである前作『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』でいえば、ゼロがベリアルと同じようにプラズマスパークの力を手に入れようとしたり、岩に潰れそうなピグモンを助けたりといった描写になる。
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本作のそれはウルトラブレスレットだろう。異世界でのゼロはエネルギー不足の為、自由に変身できない(というか、ウルトラマン体に戻れない)。親父からの餞別であるウルトラブレスレットに変身用エネルギーが収められているのだが、ついている石三個分――三回しか変身できない。これを使い切ると故郷である光の国に戻れないのだ。
でも、ゼロは無辜の民が苦しんでいたり、仲間がピンチに陥っていたりすると、なんの躊躇も無く変身するんだよね。
つまり、これはアンパンマンのアンパンでできた顔と同じなのだ。世の中には色んな民族がおり、色んなイデオロギーがあり、色んな正義がある。でも、困っている人がいたらその身を傷つけてでも助けるというのは、日本に伝統的に根付く絶対的で説明不要な正義なんだよな。ミラーナイトを浄化するゼロなんて、ナウシカそっくりだったよ。これを、映像的にもの凄く分かり易い形で示し、ドラマを牽引するキーアイテムの一つにもするという、この映画がとった戦略は上手い。上手すぎる。


しかも、ここで描かれる動機――ゼロが異星の人々を助ける動機ってのは、昭和ウルトラマンが地球人を助ける動機そのものなんだよね。
つまり、同じ世界の犯罪者であるベムラーならぬベリアルを追って地球ならぬ異世界にやってきたウルトラマンが、次第に異世界人に共感し、仲間となり、助けるというオールドスクールな話を、ウルトラマン視点でやるという映画でもあるわけだ。
まさに、「俺がウルトラマンだ!」というオチで今回は終わり。