みろ、これが映画の力だ!:「イングロリアス・バスターズ」

イングロリアス・バスターズ」を観た。自分の場合、期待しまくった映画は失望させられることが多いのだが、今回は楽しめたよ。
映画に詳しいヤツほど強い、映画を愛してるヤツが強い、映画館主が強い、いや、それより映画自体が一番強い!みたいな映画原理主義に感動した。ランダ大佐のキャラクターは歴史に残ると思う。あと、別冊映画秘宝のムックには元ネタの数々が解説されていて、非常に勉強になった。以上……で終わらせるのは流石に芸が無いと思うので、このムック中に掲載されていた中野貴雄の記事を読んで、つらつらと思いつらねたことなどを書こうかと思う。
『イングロリアス・バスターズ』映画大作戦! (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)
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この映画、「戦争映画」というジャンルで宣伝されているけれど、メカや重火器の魅力が描かれたり、アクションの興奮を楽しむ映画じゃないよね。つまり、本当の意味での「戦争映画」じゃないよね。「映画」というものを題材にした、ポストモダンな「メタ映画」と表現すればそれまでだけど、でもメタ構造以外の魅力もあるよね。


私はこの映画、誰かが誰かのフリをしながら何がしかのミッションをこなす、「スパイ映画」であると思うのだ。
以下ネタバレ。


第4章からダイアン・クルーガー演じるドイツの女優かつスパイ*1が出てきて、バスターズもドイツに潜入して諜報戦が繰り広げられるけれど、それ以降に限った話ではない。
たとえば本作の冒頭は、あくまで普通の農夫のフリをしようとする一人の男と、ドイツ軍人だけど無害な存在のフリをしようとするランダ大佐との、鬼気迫る精神的対決を描いている。しかも、「ハリウッド映画ではドイツ人やフランス人も英語で喋る」というお約束事を逆手にとるというメタ演出つき。この第1章に本作の魅力が凝縮されているといって良いだろう。


思い返せば、タランティーノの映画では常に誰かが誰かのフリをしてきた。マフィアのフリをする潜入捜査官。ボスへの忠義心を保ったフリをする部下*2。スチュワーデスのフリをする運び屋。優しいママのフリをする女の殺し屋。引退したスタントマンのフリをする脚フェチ殺人鬼。そして本作では、無害なフランス人のフリをするユダヤ人の復讐劇がメインとして描かれ、加えて、ヤケクソ気味にイタリア人のフリをする田舎者アメリカ人の姿がオマケ的かつメタ的笑いどころして描かれるのだ。


その「フリをする」という特徴は、そのままタランティーノの作風や創作の特徴とも繋がる。表面にみえるもののほとんどは過去の名作や、タランティーノが好きな作品の引用だ。だが、そこをもってタランティーノの映画をパクリと評する者はいないだろう。タランティーノにはコピー&ペーストの集積で他人を唸らせるほどの確かなオリジナルを作り上げる力があるのだ。「これって○○が元ネタだよね」と指摘された際、シャマランが真っ赤になって否定するのに対し、タランティーノは興奮して嬉しがるの、その理由は、自分の引用センスの良さが理解され評価された嬉しさと、同族を発見した喜びと、自分の創作者としてのオリジナリティはそこにあるわけじゃないとタランティーノ自身が考えている、つまりは自信の顕れからだろう。


もう一つタランティーノの映画に共通するもの、それはやはり「復讐」だろう。ビルへの復讐を固く誓うザ・ブライド。「女の敵」である殺人鬼に復讐する女たち。そして本作では、ナチスドイツに対するユダヤ人の復讐が描かれる。


ただ、「イングロリアス・バスターズ」を観て考えてしまうのは、果たしてタランティーノは本気でユダヤ人迫害に怒っているのかということだ。普通に考えて、そういう風には思えない。タランティーノの父親はイタリア系、母親はチェロキー・インディアンの血を引いているという。どちらかといえばタランティーノの立場は、本作でいえばアルド・レイン中尉に近いだろう。


つまり本作でタランティーノは、ユダヤ人迫害に怒っているフリをしているのだ。ナチスドイツに怒っているフリをしているのだ。バスターズの面々が徹底して記号的で無個性である一方、決して口を割らない高潔な軍曹、子供の誕生を祝う兵士、童貞っぽい英雄兵士、そして史上最もポストモダンナチスであるランダ大佐と、やけに人間臭いキャラクターがドイツ側に揃っているのはそのせいだろう。ショシャンナの復讐の結末も苦い*3


じゃ、タランティーノナチスドイツに怒っているフリをしてまで破壊したいものは何か?タランティーノの映画が大好きで、彼の生き様や映画の内容や引用元に共感する、オタクでナードでシネフィルな我々ボンクラ男子なら、書かずとも分かろう筈だ、と思う。

*1:二重に「フリをしている」

*2:だからブチャラティと不倫しようかどうか悩む

*3:ここいら辺は「キル・ビル」と同じで、タランティーノは本質的に暴力が嫌いだからこそ暴力に惹かれているのではないか?北野武のように