ボーイ・ミーツ・ビッチ:劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」

 夕飯を食いながら、NHKの「にっぽん紀行」という番組を観ていた。


NHKネットクラブ エラー


 土佐の93歳のカツオ漁師に取材した「潮の海に今ふたり?土佐 カツオ漁師?」という回で、妻は88歳だ。腰はひん曲がっているし、足元もおぼつかない。スーパーに買い物にいくのも一苦労だ。
 そんな夫婦が船に乗ってカツオを捕る。数年前までは夫一人で漁に出ていたのだが、じじぃ一人じゃあまりにも心配だからと妻も乗り込むようになった。
 妻はいう。
「もしこの人が海に落ちたら、私も一緒に飛び込もうか」
 総白髪の老夫婦が故障だらけの船を騙し騙し修理し、やっとこ漁をするさまは、感動的というよりも痛々しかった。


 で、一緒に観ていた嫁が、「いっそのこと船が転覆して二人とも一緒に死んじゃえば良いのにね」などと、ヒドいことをいう。なんでも、どっちか片方残ったら、絶対に生きていけないから可愛そうだというのだ。いや、たとえどっちかが先に死んでも、こういう大正生まれは案外しぶとく生きてくんじゃないのかなー。



 ただ、そこで先日観た劇場版「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」のことを思い出した。


 私はテレビ版の「エウレカセブン」全50話をしっかり観て、なかなか楽しかった覚えがあるのだが、。*1劇場版には、イマ二つくらいノれなかったんだよね。
 なんかなー、結局この種のアニメってティーンエイジャーをターゲットとしてティーンエイジャーに向けてティーンエイジャーが消費するように作られていて、ただいま33才の子持ちのおっさんが観ても心に響くものが無かったってことなのかなー、俯瞰してみると。


 テレビ版と比較して世界観を大きく変えた、ってのは良いと思うんだよ。50時間を2時間に圧縮したものを上映されてもつまらんから。にも関わらず、架空の50時間テレビシリーズを元にしたかのようなダイジェストっぽい編集がつまらなさの一因かとは思う。


 でも、つまらなさを感じる要因の一つは、エウレカのキャラクターとしての造形だ。テレビ版の時も視聴者にとって都合の良いキャラクターだなと思っていたが、映画版ではこんな女絶対にいねー!というレベルに達してしまっている。「エウレカセブン」の大きなテーマの一つは「ボーイ・ミーツ・ガールの物語をちゃんとやる」ってことであろうと思うのだが、そういう話の中でああも簡単に異性のパートナーをゲットできてしまうというのは、罪深いことなんじゃなかろうか。


 テレビ版はさ、ビームス夫妻とのくだりををあからさまな通過儀礼として描いていたり、男と女が付き合っていく上でのどうしようもない不和についてちょっとだけ触れたりと、まだマシだったんだよね。なんでそういうのを映画版に持ち込まなかったのだろうか。エロゲーとかオタ向け消費財としてのアニメならそれで良いのかもしれない(本当はいかんけどな)。でも、「エウレカセブン」って、結構気合の入ったアニメだと思ってたのだ。最初から最後まで可愛い女の子が主人公である自分にデレデレってのは、戦争映画でまったく人死にがでない映画がそうであるのと同じく、罪悪であると思う。エウレカが人間じゃないのは、あくまで思春期の男にとって女というものが異生物であるかの如く理解不能な存在であることの隠喩であって、こんなに都合の良い女地球人にはいないよ!なんて意味じゃ無かった筈だ。


 以下、若干ネタバレ


 ただ、ホランドが兄貴的存在からあからさまな敵になったのは、上手い改変だと思った。やっぱりさ、ちょっと年下の「選ばれし者」ってのは、ムカつく存在だよな。そして、アニキってのは最大のライバルでもあるよな*2。父親を倒して大人になるのと同様に、アニキを倒して男になるというのが、あるべき物語じゃなかろうか。
 でも、それが「子供ができた」の一言で解決しちゃうのが、またなんとも。これは自信をもって書くのだが、子供ができて解決する問題なんて一つも無いよ!むしろ、子供ができて問題が大きくなるのが常なんじゃないのか?みたいのは子供ができた「その後」なんだよな。テレビ版は最後の二、三話でモーリス、メーテル、リンクの三人をつかって「その後」の問題についてちょっと触れていたのに。


 ここで最初のカツオ猟師夫妻の話に戻るのだけれど、「もしこの人が海に落ちたら、私も一緒に飛び込もうか」という台詞は、本作でいうところの「レントンが死ぬなら私も一緒よ!(うろ覚え)」みたいな台詞と、意味するところは本質的に一緒であると思う。でも、そこから受ける印象はまるで違う。つまりさ、この二作、吐く台詞の内容は同じだし、通過儀礼が直接は描かれないという点も同じだ。でも、ボーイとガールがミーツして、ここに辿りつくまでの間に二人の合間に濃厚な何かがあったであろうことを想像させられるかどうか、ってことだと思う。それが演出の力であり、実写とアニメの違いであり、ドラマとドキュメンタリーの違いといえばそれまでなのだろうけれど、やっぱり童貞の頃にアニメをみまくった自分としては、こういう要素を上手くアニメに取り込めないのかなとも思うんだよね。


 長々と書いてきたのだけれど、この映画、若かりし頃の自分が観たらきっとそれなりに感動していたんじゃないかと思う。現代のティーンエイジャーの多くも感動するだろう。童貞の頃が懐かしい。

*1:http://blog.livedoor.jp/macgyer/archives/50508653.html

*2:グレンラガン」で、もしカミナが死んでなかったらラスボスになったであろう的な