なぜラプトルたんに感動してしまうのか:『ジュラシック・ワールド』

SF好きな子供には大きく分けて二つのタイプに分けられるという。一つは、星やらロケットやらが大好きで、望遠鏡を覗きながら果てしない宇宙に夢を馳せるタイプ。もう一つは、昆虫やら怪獣やらが大好きで、顕微鏡を覗きながら恐竜復活に夢を馳せるタイプ。


後者のタイプに分類される自分は、当然この夏一番楽しみにしていた映画『ジュラシック・ワールド』を観たのだが、ちょう楽しかったよ!
ジュラシック・ワールド』は『ジュラシック・パーク』の続編、というか実質的なリメイクとして、実によくできた映画になっている。
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遺伝子操作で生まれたシリーズ最強の敵、子供やボンクラ技術者といったシリーズ特有のお約束、海棲爬虫類や主人公の立ち位置といった、これまでのシリーズに無かった要素と、危険な目に遭う子供や、ラプトルやティラノなどのスター恐竜といった共通する要素……すべてが映画の魅力になっている。なによりも、恐竜におしっこちびるほど怖い目に合わされたけど、それでも恐竜のことが大好きなんだ! という価値観がしっかりと映画の芯になっているのが嬉しい。同じように続編としては良くできていた『ターミネーター:新起動/ジェニシス』に足りなかったものが、この映画にはある!


ただ、本作は冷静に考えるとおかしなところがいっぱいある。
子供二人の両親の離婚問題はまるでとってつけたようであるし、パークとジャングルはかなり高い壁で隔てられているのにインドミナス・レックスは自由自在に移動するし*1、子供とブライス・ダラス・ハワードはあの場所にダラダラ残らず早く移動しておけば良いのにと思うし、子供の兄とクリス・プラットは役割がカブっていると思うし、なによりも、最後の○○と○○の行動が都合良すぎる。


それでも、本作が魅力溢れる映画になっている理由は、監督であるコリン・トレボロウの演出力にある。
さっきまで生きてた人が恐竜に食い殺されるサスペンス。今まで観たことがない恐竜と人間とのアクション。なによりも、仕事とキャリアしか頭になかったブライス・ダラス・ハワード*2が、今まで商品として扱っていた恐竜の命の大切さを知り、擬似的な家族の大切さを知り、クリス・プラットを救うという流れの見事さ。ハイヒールを脱ぎ捨て、唇まで奪うというオサレな演出のオマケつきだ。
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思い返せば、『彼女はパートタイムトラベラー』もオサレな映画だった。オサレな音楽、無駄のない編集、観客が観たいものを観せるサービス精神、魅力的なキャラ造形……等々は、『ジュラシック・ワールド』にも引き継がれている。


ただ、ちょっと残念なところもある。スピルバーグは、『彼女はパートタイムトラベラー』にある『未知との遭遇』的な要素――心に傷を持った登場人物たちが出会い、惹かれあい、「ここではないどこか」を目指す――を一番の理由として、ジュラシック・パーク新作の監督に推したのではなかろうか。ところが完成した新作は、二番目や三番目の理由――「無駄の無い編集」や「サービス精神」――がフルに発揮されていたものの、中学の時イケてないグループに属していた芸人じゃなかった人間の屈託のような要素は、プレミアがついたジュラシック・パークのTシャツをeBayで落札したオペレータまわりのギャグくらいにしか見受けられなかった。
いったい、コリン・トレボロウの映画を作る理由――やむにやまれぬ思いや切実さといったものはどこへ行ってしまったのか?



以下、ネタバレだけれどもネタバレにならないように書く。



それでもそれでも、最後まで本作をみると、どうしても感動してしまうのだ。
本作における人間と人間とドラマは類型的なのだが*3、恐竜と人間のドラマにはどうしても心を奪われてしまう。そう、本作はなんと恐竜に感情移入してしまう映画なのだ。
勿論、怪獣好きな映画ファンの中には『ロストワールド』で最後に暴れるティラノに感情移入してしまったという人もいるかもしれない。ただ、本作の最後、主人公とラプトルがついに目と目で心を通じ合わせるシーンには、ほとんどの観客が感極まってしまうのではないだろうか。ラプトルが完全に人間を信用せず、凶暴さも失わない――まるで人間と野生の動物との間に、その瞬間だけかろうじて成立した信頼のような関係性――として描いたバランス感覚もまた素晴らしい。



「まるで野生の動物」と書いたのは、本作に出てくる恐竜たちは全て遺伝子組み換え生物だからだ。まるで悪魔のように描かれるインドミナス・レックスだけでなく、最後に主人公と心を通じ合わせるラプトルもティラノもモササウウルスも、すべて人間が復活させた――生み出した生物だ。ラプトル四姉妹の体色が違うのは、それぞれ別の生物とのキメラ動物であるからだし、モササウルスも巨大すぎる。長女の名前がブラボーではなくブルーなのは、ノドグロオオトカゲとナイルオオトカゲのDNAを組み込まれており*4、体色がブルーになっているからだという。
B・D・ウォンの言う「結局、みんな怪獣ですからー」みたいな台詞は正しい。最後に用意されているのは遺伝子組み換え人造生物VS野生の力などではなく、悪魔のような*5遺伝子組み換え人造生物VS人間とたまたま共闘することになる遺伝子組み換え生物の戦いだ。つまり、これまでのシリーズにあった「神の領域を侵した傲慢な人間が受ける報い」みたいな倫理観は破綻しているのだ。


代わりに立ち上ってくるのは、シリーズに対する強烈なメタ構造だ。
本作の実質的な主人公であるブライス・ダラス・ハワードも、主人公を癒すヒロイン役と活躍するクリス・プラット*6も、コメディ要員として登場するオペレーターも、全て三十代だ。つまり、一作目が公開された時、彼ら彼女らはCGで動く恐竜に心躍らせる子供だった。
冒頭、ブライス・ダラス・ハワードが出資者たちに説明する「今や普通の恐竜じゃ満足しなくなったので、遺伝子組み換え恐竜を作りました」という台詞にもメタな意味を感じてしまう。「今や普通のCGじゃ満足しなくなったので……」というふうに聞こえてくるのだ。
パークの創設者ハモンドへの敬意は、まるでシリーズ創設者にして偉大な映画監督であるスピルバーグに払われている敬意のようだ。「パークは人間が謙虚さを学ぶ場所」と言いつつ、ノリノリでヘリを操縦してインドミナス討伐に向かうボンクラCFOマスラニには、どことなくトーマス・タルを連想してしまう。そして、本作の舞台となる島は一作目と同一であり、本作に出てくるティラノは一作目と同一個体だ*7


で、本作は最後、「総員、全力で全弾発射!」みたいなシメを迎えるのだが、ここに「旧スタッフも新スタッフも総員、全力で映画を成功させるぞ!」みたいな気合を感じてしまうのだ。きっと、クリス・プラットがラプトルたんたちに払う愛情や敬意は、コリン・トレボロウが映画というものに払う愛情や敬意と同じものなのだろう。


そう考えると、同年代にも関わらず、途中でザラやヴィヴィアンが途中退場してしまうのは、「愛」が足りないからかもしれないけれど。


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*1:おかげで未だにパークの構造が良く分からない

*2:彼女が実質的な主役である

*3:いかにも頭の良い脚本家が考えたっぽい

*4:という裏設定がある

*5:そうなったのも人間のせいなのだが

*6:このキャラ配置は奇しくも『怒りのデスロード』と一緒だ

*7:首には一作目でラプトルにつけられた傷があるらしい