押井守がデル・トロを褒める理由:『勝つために戦え!監督篇』

というわけで、自分ももう38歳だ。
この齢になると、怪獣もロボットも宇宙人も出てこない映画を観るのは時間の無駄だと思えてくる。
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そんな自分でも、2013年に最も面白かった怪獣映画は『パシフィック・リム』であり、最も面白かったロボット映画も同作であると思うものの、最も面白かった映画が『パシフィック・リム』かと問われれば、そうではないと思うのだな。
その理由は以前のエントリで幾つか書いたのだが、主人公の物語というか動機が途中で終わってしまうのが一番マズいと思うんだよね。
具体的にいえば、香港で二体の怪獣を倒した時だ。あそこで主人公の話が終わってしまうのだな。あそこまでは最高の映画だと思うのだが、そこから何故か司令官の話になったり、親子の話になってしまうんだよね。
もっと主人公の話がみたい! 周囲から不信の目でみられ、阻害され、打ちのめされた主人公が、それでもヒロインと二人で最強怪獣を倒しまくる映画がみたい! ……と欲求不満になるんだよな。やっぱりガイズリー博士を主人公にすべきだったんじゃなかろうか。
だからといって『パシフィック・リム』がつまらない映画というと、そうではない。人間ドラマが欲求不満なのに対して、イェーガーと怪獣じゃなかったKAIJYUとのバトルは素晴らしい。単に格好良いとか興奮するとかだけではない。成層圏で赤い太陽をバックにジプシー・デンジャーがオオタチをぶった斬るとき、ガイズリー博士が手製の装置で異次元を幻視するとき、次元の裂け目で核爆発が起こるとき、なんだかえもいわれぬ美しさを感じてしまうのだ。
デル・トロが『パシフィック・リム』をお仕事感覚で監督したとは思えない。映画のそこここに、デル・トロでなくてはなしえなかった作家性がみてとれる。や、もしかするとデル・トロの作家性ではなく、脚本を務めたトラヴィス・ビーチャムのものかもしれないが。


同じような美しさは、『ブレイド2』や『ヘルボーイ2』にもあった。どう考えても心底からやりたい企画であろう『デビルズ・バックボーン』や『パンズ・ラビリンス』は当然として、この「デル・トロ印」みたいなものはいったい何なのか……
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そんなことを考えつつ、九連休なのを良いことに本やら映画やらゲームやらを満喫していた正月休みだったのだが、押井守の『勝つために戦え!監督篇』を読み返していたら、デル・トロに対する言及が大変興味深かった。
勝つために戦え!〈監督篇〉
押井 守
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デル・トロは自分が本当にやりたい仕事とカネや評価を稼ぐためにやる仕事とのバランスが最高に上手いばかりか、後者の仕事に対しても必ず自分の作家性を入れる監督である――というのが押井守の評価らしい。

デル・トロが面白いなと思ったのは、ハリウッドでやった『ブレイド2』とか『ヘルボーイ』の企画には全然興味ないんだって言うんだよね。「ただすごい金でいろんな機材使って映画撮れるからおもちゃ箱みたいな世界だ。だから遊んでるだけだよ俺は。面白いんだもん」っていう話でさ。だから彼にとっての本筋の映画はスペインで撮ったりするわけ。それが『パンズ・ラビリンス』。「自分の本筋の映画はそっちなんだ」ってはっきり言ってたから。でもそれはハリウッドが金を出してくれないから、予算は安いけどそういうのを撮ったりするんだよって。『パンズ・ラビリンス』をついこの間見てびっくりしたよ。「あ、こういういい映画撮ってるんだやっぱり」って。

頭のいい男だよ。だから絶対にハリウッドでやる仕事は外さない。『ブレイド2』だったエンターテイメントとしては見事なものだったし、『ヘルボーイ』は僕の趣味じゃないけど、でも見てて飽きないようにちゃんとなってる。『ブレイド2』の敵のバンパイアの姉ちゃんが死ぬときに顔がさーっと消えていく、あの辺のところはアニメっぽいんだけど、でもきれいだった。あいつはそういう美意識をちゃんと持ってる。巨デブであるにもかかわらず。
(中略)
最初はしょうもないオタクがまた来たと思ったんだ(笑)。でも、話してたら「あ、こいつは頭いいんだ」ってだんだんわかってきた。第一声は「アイアムオタク」だったからね。でも『パンズ・ラビリンス』みたいな本筋の映画を見ると、そういうアニメ的なケレンとか全然ないんだよ。ものすごくオーソドックスでいい絵を撮ってる。もう完全にヨーロッパ映画。完全に使い分けてるよ。
ブレイド2』の方は忍者が出てきたりさ、CGバリバリ。でも『ヘルボーイ』の二本目はちょっと哀愁が入ってるわけだよね。異形なるものの哀愁。それがあいつらしいテーマなんだよ。グロいものがなんかエロティックだったり、きれいなものに転じる瞬間をとらえるのがものすごくうまい。それはもう関心するぐらいうまい。

ウォシャウスキー兄弟との違いについて問われて)
自分もそうだから思うんだけどさ、自分がとことん好きなものをやっちゃうとマニアックになるだけで、映画が当たるための何かが欠落するんだよ。『スピード・レーサー』なんて普通に撮った方がはるかに面白いに決まってるじゃん。実際撮れるんだし。それをあえて今のデジタルを使って、古臭いレイアウトを再現してるんだもん。そりゃマニアは喜ぶかもしれないけど、ハリウッドの原則に反してるよ。デル・トロの方はハリウッドの原則に忠実にやってるから。必ず男と女が出てきて、ラブがあって、冒険があって、戦いがあって、最後は必ずヒーローが生き残るっていうさ。
(中略)
――それでもすごく当たれば誰も文句は言わないんでしょうけどね。
当たらなかったんだからしょうがないじゃん。元の『マッハGoGoGo』を見ていなければ面白くもなんともないもん。そのへんはデル・トロはちゃんとわかってる。コミックの原作だけど、コミック以上のものにちゃんとしてる。
僕が知ってるハリウッドの監督の中で言えば、彼だけがそういう意味ではちゃんとした仕事をしてる。だからスペインやヨーロッパでやるための仕事はやっぱり評価のための仕事でさ、たいして当たらないだろうけど、名作として残っていく作品なんだよ。

(マンガ原作を実写化する歳のバランスの難しさについて問われて)
いや、僕にいわせれば簡単なことだよ。自分のテーマを持ってるかどうかだけだもん。自分のテーマに自覚的であれば、自分の演出能力だけで勝負できるしさ。その余裕の中で自分のニュアンスを出すことは常に可能なんだよ。デル・トロがそうであるようにさ。デジタルバリバリのコミック原作のよくある映画でも、あいつの作品はデル・トロ独特の演出が随所に光ってる。
でも本命は『パンズ・ラビリンス』。彼に関してあえて言うなら、あれは良くも悪くも『ミツバチのささやき』だったわけだから、「その先なにを作るんだろう?」っていうのが気になる。本当のデル・トロ映画っていうのはまだ始まってないと思うよ。
まあ、たぶん失敗しない場でやる筈だよ。ハリウッドで『パンズ・ラビリンス』をやったら失敗の烙印を押されかねないんであって、それをやらないところにあいるの勝敗論の巧さがあるんだよ。

自分は『ヘルボーイ2』がデル・トロにとって単にカネを稼ぐための仕事とは思えないのだが、「余裕の中で自分のニュアンスを出している」という言葉には納得だ。この本が上梓されたのは2010年、『パシフィック・リム』が製作される三年も前だ。押井守はその頃からデル・トロの本質を見抜いていたのだなぁ、となんだか感じ入ってしまったよ。どう考えても自身の本筋とは異なっていそうな実写版『パトレイバー』の総監督を、実物代イングラムを制作することを条件に引き受けた押井守にも通じる話だ。
これを読んでみた後で考えてみると、デル・トロが本当にやりたい企画は『狂気の山脈にて』で、それを「失敗しない場」でやるための環境作りに失敗したが故に『パシフィック・リム』を撮った、という認識が正しいのかもしれない。『パシフィック・リム2』の監督がデル・トロではなくトラヴィス・ビーチャムになっても自分は驚かないね。


ちなみに、本書は他の監督への評価も最高に面白くて、キャメロンに対する評価を別エントリで紹介したこともある。
映画監督押井守にとっての勝利と敗北──もしくはキャメロンに「負けた」理由 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな


ちなみにちなみに、高畑勲への評価も『かぐや姫の物語』が作られた今読むと、本当に興味深かったりする。

宮さんは言ってみれば機動部隊の司令長官になっちゃて、機動部隊ごと突撃しちゃったわけだ。それで帰ってこれなくなったの。で、高畑さんが何をやってたかっていうと、陸軍の将軍みたいなもんだよ。地位はある。でも戦争できない。なぜなら軍隊自体を維持することに失敗したからだよ。でも将軍ではあり続けるよ。
(中略)
今の高畑さんはもうエンターテイメントの「エ」の字もないから。完全にインテリになっちゃった。文化しか考えてない。興行の世界からは限りなく遠い人間になっちゃった。さすがの敏ちゃんももう制御できないって。文化人として生き延びるしかない。

まぁ、実は『かぐや姫の物語』まだ観てないんだけどな!