『ヤマト2199』に足りないもの:『バトルシップ』

バトルシップ』鑑賞。
「時代を反映している」「余計な人間ドラマが最小限」という二点において、世間で評判の悪い『ロサンゼルス決戦』が自分は大好きなのだが、全く逆の理由でこちらも大好きになってしまう映画だった。
本作は地球外生命探査のため、衛星を経由して他の太陽系に電波を送るシーンからはじまるのだが、ここの表現で既に仰け反ってしまう。なんと、電波が光の線と大音量の音、すなわち「ビーム」として表現されるんだよね。これは製作者によるリアリティレベルの提示、「こういう映画だからつっこんでも無駄ですよ!」という宣言のように思えた。


その後、続くのはもの凄―く分かりやすくて、かったるい人間ドラマだ。あんなにボンクラな主人公がそうそう簡単に仕官になれるのかよとか、いかにも因縁を作るために用意されたサッカー試合なんかは笑ってみてられたのだが、とある理由で主人公が閉店したコンビニに忍び込むシーンにてピンクパンサーのBGMが鳴り響いた時には、映画館を出ようかと思った。


だが、出なくて良かった! 長い長い前フリを経て、ようやく宇宙人が『トランスフォーマー』そっくりのシチュエーションで地球に進攻してくるのだが、まずやるのがハワイ諸島の周りにバリアを張ることなんだよね。で、バリアの只中にとりのこされる三隻の駆逐艦。外部とは連絡がとれないことが示される。全ての誘導兵器は使えない。しかも、何故か宇宙人も誘導兵器を持たず、武器を向けない艦艇や人間に攻撃してこない。……つまり、どうやって軍艦が活躍するシチュエーションを作るかに注力された脚本といって良い。ラスト、とどめをさすのが航空戦力であるあたり、決定的だ。この映画がやりたいのは安い人間ドラマでも海軍礼賛でもなく、如何に駆逐艦や戦艦のカッチョ良い活躍を描くかだったんだよ! やっぱり、素手ゴロでエイリアンをブン殴る映画に駄作無しの法則だなぁ。



以下ネタバレ



だから、なんで恒星間航行できるくらいの科学力持った宇宙人が誘導ミサイル持ってないのとか、なんで他の兵器は手動操作なのにファランクスだけ自動で撃てるのとか、主砲撃ってる時に甲板に出たら爆風で死んじゃうんじゃね? とかいったような細かい疑問は、戦艦ミズーリ登場で全て許す。
もうさ。シチュエーションがたまらないよね。
主人公と浅野忠信演じる相棒が、『ハートブルー』や『ハートロッカー』よろしく男二人仲良く並んでブロック狙撃銃を撃ちまくる。宇宙人の戦艦を撃破した喜びも束の間、とうとう現れたラスボスに、乗ってる駆逐艦を沈められる*1。絶対絶命となった際、「まだ俺たちには一隻残ってるじゃないか!」の台詞と共に、無言で集まる老いた水兵たち。なにこのかっこ良さ! 更に、「戦艦の攻撃力(砲門数)は舷側を向けた時に最大になる」なんて特性を活かした作戦を映像でみせるさりげなさ。これでバルチック艦隊も撃破だよ!
たった数時間で展示艦を動かせるわけないのだが、もうそんなことどうでも良い。理屈もリアリティも、全てを超えた映画的興奮がここにある。映画の面白さって、こういうもんだよな。


しかも、ここで感じる興奮は、多分、第一次大戦や第二次大戦で民衆が戦艦を目にした時に感じた興奮と同種のものなんだよね。
戦艦というのは時代遅れの兵器だ。国の威信を表し、象徴とするには高コストすぎる。維持に莫大な費用がかかるくせに、ミサイルや航空戦力に弱い。空母ほどの優位性を見出せないのだ。
それでも、民衆は戦艦に熱狂する。いや、おれたちは戦艦に熱狂する、と言い換えよう。だからこそ戦艦大和は宇宙戦艦として蘇り、戦艦ミズーリは宇宙人を倒すために蘇ったのだ。


でも、やっぱり『ヤマト2199』には感じられない種類の興奮を、『バトルシップ』には感じてしまうんだよね。やっぱそれは、女性キャラを増やすとか階級に拘るとかいった瑣末なことではなく、バカでも良いから見せたい映像とシチュエーションを最大限活かしたプロットや脚本ということなんだろうなぁ。その意味では、全然バカでもボンクラでもないスマートな映画だった。



ただ一つ、声を大にして言いたいのだが、日本人はサマーキャンプでスナイプの練習なんてしないよ。あれ、ギャグ(の一つ)だよね?

*1:ちなみに沈み行く駆逐艦から脱出するシーンはタイタニックそっくりなワンカットなのだが、脱出するのが男二人という腐ったシチュエーションがまた良い