脳内原田芳雄:『父と暮せば』

原田芳雄が死んだらしい。
自分はこれまで死ぬ直前の人間に三人会ったことがある。祖父と先輩二人だ。祖父の部屋中に充満していた死に近づいた人間の雰囲気――「におい」みたいなものは強烈に記憶している。祖父は70代後半だったので、その「におい」に気づいても別段驚かなかったのだが、先輩二人は一つや二つ年上というだけだったので、病室を見舞った際に同じ「におい」を感じたことに驚いた。


同様の「におい」を『大鹿村騒動記』の舞台挨拶に姿を表した原田芳雄――ガリガリにやせ細った姿に感じた。だから、死去との報を聞いてもそれほど驚きはしなかった。腸閉塞になると点滴でしか栄養をとれなくなるので、あのような姿になっちゃったんだと想像する。



父と暮せば 通常版 [DVD]
黒木和雄
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自分なりの追悼として、『父と暮せば』を鑑賞することにした。BSプレミアムでも追悼番組として放映するらしい*1のだが、今すぐ観たかったのでDVDで鑑賞だ。自分でも驚くほどに泣けてきた。



この映画、娘と父二人の暮らしぶりを通して被爆者の心持ちについて描いた映画なのだけれども、何が凄いって、開始五分で父は死人であることが明示されるのだ。

美津江(宮沢りえ)は唯一の家族だった父・竹造(原田)を広島に投下された原爆によって失い、一人生き残った自分に負い目を感じながら暮していた。ある日、美津江は勤め先である図書館に原爆の資料を探しに訪れた木下(浅野忠信)に想いを寄せるも、自分は幸せになってはいけないという思い込みから身を引こうとする。そんな姿を見かねた竹造は幽霊となって美津江の前に姿を現すという物語。

俳優・原田芳雄さんの追悼番組がNHK BSプレミアムで放送決定 | NewsWalker

……などと粗筋には書かれているのだけれど、この映画の原田芳雄を幽霊や亡霊と呼ぶには違和感がある。霊というよりも、脳内父さんなんだよな。
だから娘を演じる宮沢りえが表面上は明るく笑ったりはしゃいだりしていても、心の内は絶対にそうでないだろうと観客は想像してしまう。しかしその一方で、このような脳内父さんを暮せる娘は幸せなのだろう、少なくとも幸せな記憶を持っていることは事実なのだろうとも思う。独身非モテ毒男ラブプラスやらエロゲーやらで脳内彼女とつきあう時と同じような悲哀と幸福さが、ここにはあるのだ。娘も他人、というか木下の前じゃあんなに明るくなかろうってのを言外に演出してもいる。


ここまでがこの映画の感想だったのだが、今再見すると別の感情を抱いてしまう。娘が脳内父さんと暮しているさまが描かれる約100分間、おれたちも脳内原田芳雄を映画の向こう側に観てしまうのだな……



原田芳雄といえば世間的には「アニキ」とか「アウトロー」といったイメージがあるのかもしれないが、自分が抱いていたそれとは異なる。自分が意識的に映画を観るようになった時、原田は60の大台だった。名作といわれた映画の中での姿よりも、むしろ『タモリ倶楽部』の鉄道企画でみせていた心の底からの笑顔が忘れられない。オープン前の鉄道博物館を見学した際にはしゃぎまくる原田芳雄は、まるで子供のようだった。あれ、葬式で上映した方が良かったよな。



黒木和雄の新書『私の戦争』にこうある。
私の戦争 (岩波ジュニア新書)
黒木 和雄
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私と原田さんとの出会いは一九七四年の『竜馬暗殺』のときでした。それ以降も『祭りの準備』『原子力戦争』『夕暮まで』『泪橋』『TOMORROW/明日』『浪人街』『スリ』とすべての作品に出演してくれています。また原田さんを通じて、桃井かおりさん、松田優作さん、石橋蓮司さん、勝新太郎さん、樋口可南子さんなどとのいい出会いがありました。原田さんは細かい打ち合わせをしなくても現場では想像力豊かに演じてくれる三○年来の親友であり、戦友なのです。
(中略)
原田芳雄というと、アウトロー、ワイルド、ハードボイルドといった骨太のイメージがあります。確かにそれは原田さんの大きな魅力の一つではありますが、彼は決して独りよがりの役者ではありません。原田さんは心のどこかに自分はダメな人間なのだと思っているふしがあり、同じような劣等感を抱えている私も共感したのでした。現場全体を視野に入れ、スタッフや役者全体が今どういう状況にあり、そのなかで自分の役割はなんなのかを正確に見つけ出すといったすすんで現場を活性化してくれる頼りがいのある俳優です。


原田芳雄の通夜には1200人、葬式には2000人が参列したらしい。多分、皆が原田芳雄に共感したり、好きになったりする理由って、実のところ黒木和雄と同じようなものなのではなかろうか。



黒木和雄井上ひさしも墓の中だ。そして今、原田芳雄もこの世を去った。世界はどんどん寂しくなる。だが、世界の寂しさと自分の脳内は別だ。そうありたい。

*1:放送日から考えると前から決まってたのだろうとも思う