悪人ホリエモン

ロフトプラスワンで行われているホリエモントークライブをたまに観覧している。ゲストを呼んで対談する形式なので、ゲストに興味無い時はパスしたりしていたのだが、今回のゲストは田原総一郎上杉隆、しかも司会役で吉田豪、しかもしかもホリエモンを娑婆で見られるのはあと数年なさそうということもあり、ロフトプラスワンまで行ってみた。プラチナチケットをゲットしてくれたid:eg_2さんには感謝を禁じえない。


当日の模様はホリエモンチャンネルで観られるので詳しくは書かないが、田原総一郎の話を引き出す方法*1や、コモン・ローとコモン・センスの話や、上杉隆の芸人っぷりが興味深かった。


収監 僕が変えたかった近未来
堀江貴文
4023309575

中でも、日本にはコモン・センスはあってもコモン・ローは無くて、自分は明文化されないルールで実刑くらったようなもの、という話は一連のホリエモン騒動をよく表していると思った。


50、60代位の普通のおっさんおばさんと話していて驚くことの一つに「ホリエモンの評価が著しく低い」というのがある。彼ら彼女らの頭の中ではホリエモンは完全に社会を騒がした悪者だ。そのくせ、ホリエモンの何が具体的に悪かったのか、2年6ヵ月の刑務所収監に見合う理由とは何かと訪ねても、しっかりした返答は返ってこない。「なんかよくわからないけど、新聞やニュースで悪いといってるから悪い筈」「実刑をくらったから悪人な筈」「"金が全て"なんていってる豚が善人なわけがない」くらいが関の山だ。


ホリエモンが悪人かどうかというのは、難しい問題だ。粉飾決済した株式会社の社長は資本主義経済的には悪人だろうが、刑務所に入らなくてはいけないくらいの悪人なのだろうか? カネボウ山一證券も粉飾決済を犯したが、役員は皆執行猶予がついた。日興コーディアル証券については逮捕者すら出なかった。
ホリエモンが本当に悪人かどうか? ホリエモンがやったことがどの程度「悪い」ことなのか? 「正義」や「悪」は相対的な概念なので、それを判断する為には、様々な視点から検証する必要がある。


まず、経済学的にどうか。
自分は株式を百分割するのが、何故悪い行為なのか分からない。株式分割→株価アップ→売却でとりあえずの資本金を得た後、そのカネで新規のビジネスするなり企業買収するなりして、株主決算説明書で発生する赤字以上の利益を出せば株主にとっては文句ないんじゃなかろうか。実際、ボーダーフォン買収する前のソフトバンクってそんな感じじゃなかったっけ?
そのような経営判断が間違っていたとすれば、経営が立ち行かず倒産するとか、経営責任をとって社長の座を退くとかいった形で会社や役員が淘汰される。実際、ホリエモンは社長の座を追われた。それが自然な流れで、経済学的に間違ってるわけではない。


次に、法律的にどうか。
株式百分割やMSCB発行は法律的に合法な行為だった。一方、株式売却で得た金を売り上げに付け替えた行為が粉飾決算とみなされ、違法となったのは理解できる。一定のルールの下に行われた決算発表を元に投資を行うのが資本主義の基本なので、ライブドアの景気よさそうな雰囲気に無知な個人投資家が騙されるのとはわけが違う。この意味で、ホリエモンは悪人だ。ホリエモン本人が「知らなかった」と主張しても罪は免れない。トップである社長には会社がやったこと全てに責任があるのだから。
しかし、前述した通り粉飾決算した企業の経営者が全て逮捕され、実刑判決を受けるわけではない。カネボウ粉飾決算は800億円、山一證券は2700億円、日興コーディアル証券は180億円だった。対してライブドア粉飾決算は53億円だ。法律の運用がアンフェアに思えるのだ。


最後に、道徳的にどうか。
ホリエモンがやったライブドアバブルはサブプライムローンと同じという見方もある。合法的だが永続しない投資スキームは一度破綻すると株式市場、金融市場といった既存の経済システムに与えるダメージが大きいので、たとえ違法じゃなくても道徳的にやってはいけない、というのはそれなりに理解できる。ホリエモンがやったことは経済的なテロで、テロは犠牲者が沢山出るので悪い、という論理だ。
ホリエモンの行為は、日本の株式市場では非道徳的で倫理観にかけているかもしれない。しかし、世界的にみたら株式百分割やMSCB発行は道徳的に悪い行為なのだろうか? 株式市場に全くタッチしていない自分からみると、ホリエモンは非道徳的にみえない。むしろ、日興コーディアル証券JALやフジテレビとかいった日本のコンサバティブなエスタブリッシュメントに風穴を開けた人物にみえる。WTCに突っ込んだテロリストが中東では英雄扱いされるのと同様に、ホリエモンが英雄……とまではいかないが、それなりのトリックスターのようにみえるのだ。


そういうわけで、ホリエモンは悪人かどうかでいえば悪人だけれども、2年6ヵ月も刑務所に入らなくてはいけないほどの悪人とは思えない。検察や司法は法律と道徳を混ぜて判断してるとしか思えないのだ、自分には。


嫌われ者の流儀
堀江 貴文
4093798222

しかし、50、60代位の普通のおっさんおばさんにとって、ホリエモンは「悪人」だ。
ライブドアと同じように企業買収を繰り返したベンチャー企業はいっぱいあった。結果的に日本のエスタブリッシュメント既得権益を奪うことになったITベンチャーもいっぱいあったし、粉飾決算で役員が逮捕された企業もいっぱいあった。なのに、なんで三木谷浩史柳井正は「悪人」にならないのか。なんでホリエモンにだけ実刑がついたのか。



「その差は結局、最後までネクタイ締めずにTシャツで通したからなのではなかろうか」というのがホリエモンの見解だった。
これは、単に服装がちゃんとしていなかったという理由ではない。明文化されてはいなかったが、日本のエスタブリッシュメントの間では確かに存在したルールを破ったとみなされたからだ、とホリエモンはいう。


以下、ホリエモンの話を勝手に引用して、膨らませて書く。


イギリスには常識≒コモン・センスを明文化したコモン・ローというのがある*2。島国であるイングランドは先住民であるドルイド人が滅んだ後、ケルト人→デーン人→ローマ人→サクソン人と次々と支配者層が変わっていった。しかも、支配者層が入れ替わっても、その地に住んでいる民衆がまるごと移り変わるわけもなく、結果として様々な民族――文化が蓄積していくこととなった。
一方、日本はどうかというと、同じ島国でも大化の改新以降一回も革命が起こらなかった。隣接する大国の支配者である漢民族も、コスト高を理由に東方の島国を征服せず、ゆるやかな連邦国家を目指す文化を持っていた。
したがって、他民族国家となったイギリス人には明文化したルール、コモン・センスを明文化したコモン・ローが成立した。皆が分かる形で明文化する必要があった。対して日本では、長い間コモン・ローは必要なかった。みなが不文律を共有しているからである。


だが、明文化されないルールというのは、時にアンフェアに運用される。「コイツ気にいらねぇ」という理由で、権力が恣意的に運用することが可能なのだ。小沢一郎が「悪者」になっていること、前原誠司が5万円の献金で辞職したにも関わらず、管直人が100万円の献金を貰っていても未だ総理の座にあることなどは、その良い例だ。
また、明文化されないルールが存在するというのは、法律(の一部)が明文化されてないということでもある。不文律を破ること――公式な場でスーツを着ない・ネクタイを締めないということが法を犯すことと同義になり、実害のある罰則を受ける。つまり、それが今のホリエモンだ。


……そんな感じの話だったのだが、この「明文化されないルールを重視する」≒「コモン・センスはあるけどコモン・ローは無い」ってのは、日本人の最大の特徴の一つだと思った。
たとえば、震災から二ヶ月を過ぎても劣悪な避難所生活を強いられている被災者がパニックも暴動も起こさないことを各国が褒めているが、これは皆が「明文化されないルール」をある程度共有し重視していることの証左だと思う。
ぐっと卑近な例では、就職活動する大学生が黒のスーツしか着ないってのもそうだろう。確か、自分が大学入学した頃は、グレーやら茶色やらのスーツを着てた就活生も多かった。それが黒スーツばかりになったのは、就活生の誰もが「明文化されないルール」の存在を仮定し、リスクマネジメントに走った結果、「明文化されないルール」が実際に出来上がってしまったのだろう。今や、黒のスーツを着ていないばかりに就活戦線で敗北する時代だ。


つまり、「明文化されないルールを重視する」ってのが日本人の良いところでもあり、悪いところでもあるのだ。



だが、誰もが理解していると思うが、この日本人の美徳にして欠点は、いつまでもそのままではいられないだろう。グローバル化に流動化、Facebook革命にTwitter革命。これを古きよき伝統の喪失と捉えるのか、アンフェアな悪習の撤廃と捉えるのか、立場や属性で受け入れ方や対応が異なるだろう。
で、この対応の違いが、一つの世代間闘争として顕れたのがホリエモン騒動なのかなー……なんて思ったり思わなかったり。

*1:本人だけがバカなフリしてるつもりなのが面白い

*2:厳密にはコモン・ローは明文化されておらず、過去の判例を重視する司法システムを(シビル・ローに対置する)コモン・ローと呼称することが多く、しかも多義的な言葉なのでその他の意味を含む場合も多いのだが、ここではホリエモンの用法に従うこととする