俺たちアスホール・オッケー世代 その1

巷で噂の『ソーシャル・ネットワーク』を観たのだが、面白かったよ!


色んな見方のできる映画で、自分は非モテ非コミュの持つリア充への愛憎ってのが最大のテーマだとみたのだが、映画の外に目を向けるに、ビジネス系リア充がこの映画を「SNSを使ったビジネスの参考に!」なんていってる状況が映画以上に面白かった*1。もしかすると、『私をSNSまでつれてって!』みたいな、Facebook紹介映画みたいなのが求められているのかもしれん。全然観る気しないけど。


さて、自分はこのブログを映画評論や批評といった真っ当なものをやる場所とは思ってないので、思いっきり自分語りをしようと思う。


今でもはっきりと覚えているのだが、あれは小学4年生の頃だった。席替えで、とある女の子の隣になった。しっかり名前も記憶しているのだが、仮にK原さんとしよう。
K原さんは、育ちが良いのか、いいとこのお嬢さんなのか、服も持ち物も雰囲気も上品な女の子だった。学級演劇みたいなものの司会をやった時など、親が興奮して張り切ったのか、うっすらと化粧をしてきた時まであった。たまたま何かの巡り合わせで自分がその横に立っていたので、今でもよく覚えている。
で、ある日。長い長い昼休み時間の終わりの方だったろうか、K原さんとその友人がいつものようにガールズトークを始めた。自分はその頃から休み時間に学級文庫を読んでいるような子供だったので、読んでた本に集中していると、その友人が「K原さんの横は、いつも変なのが座るよね」なんてことを言うんだよね。それも、わざと自分に聞こえるような大声で。


ちなみにK原さんは困ったような顔で愛想笑いしていたのだが、否定しないということはK原さんも同じように感じていたのだろうと判断した。そういえば数日前に消しゴムを借りた時、なんだかとっても嫌そうだった。そういえば掃除の時間にぴっちりとくっつけられる筈の机と机の隙間が、いつも数ミリほど開いていた。次の席替えまでなるべく平穏にすごしたいのでこの場は積極的に同調しないけれども、基本的には同意よねーというK原さんの思惑が透けてみえた瞬間だった。
同時にそれは、女という存在に対する徹底的な不信感が自分に植え付けられた瞬間でもあった。


今思えば、そのぐらいの年代の男子という生き物は、女子に比べて粗暴で不潔で荒々しくて、毎日机の裏にハナクソなすりつけているような汚穢を抱えた存在なので、そんなことを言われても仕方ないと思うのだが、なにせその時はまだまだ純情な小学生だったもので、ショックでショックでたまらなかった。普段は普通に会話している女子が、心の底ではそんなことを感じていて、遂に今日宣戦布告してきたのだと思った。
35歳のおっさんになった今ならそんなことなんとも思わないし、「いつもキモいのが座る」くらいのことを言われても逆に嬉しがる位なのだが、実をいうとその時感じた不信の昏い炎は、まだ自分の心の奥底で燻り続けていたりもする。結婚して、娘が出来た、いまのいまでもだ。


(続くような、続かないような)

*1:「ソーシャル ネットワーク ビジネス」なんかでtwitter検索してみてね