アメリカ人がちょっぴり羨ましいような羨ましくないような夜と昼


 去年の暮れ辺りから「Fallout 3」というゲームにハマっている。
 核戦争後の荒廃したワシントンD.C.とその周辺を舞台に、廃墟の中から先人の遺物を漁ったり、巨大化したゴキブリの肉を喰ったり、善人のフリして奴隷狩りしたりしなかったり、グール(放射能で醜く変異した人間)と人間の間に起こる種族間闘争を止めたり煽ったりするRPGなのだが、異様に自由度が高く、本気で死ぬまで遊べそうで、毎夜毎夜プレイしているのだ。
Fallout 3(フォールアウト 3)【CEROレーティング「Z」】
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 私のプレイスタイルは、もう一つのモニターにテレビ放送やお笑いDVDを映しつつ、まったり長時間プレイするというものなのだが、一昨晩などはオバマ大統領の就任式をみながらプレイするという僥倖に巡り合った。前述の通り「Fallout 3」の舞台はワシントンD.C.とその周辺なので、ホワイトハウスやらスミソニアン博物館やらアーリントン国立墓地やら(全部核戦争のせいて荒廃してるけど)が出てくるのだが、廃墟となったワシントンD.C.の観光スポットを舞台にミュータントと殴り合いをしてる横のモニターでは、ほとんど同じ場所を舞台にオバマ大統領が就任演説をやっていて、嗚呼、これぞ21世紀の次世代パワーだなぁ、と感慨深い思いをした。
 母さん、21世紀にはエアカーもタイムマシンも無いし、癌やHIVの特効薬も見つかってないし、人類は火星にも金星にも行ってないけど、アメリカの大統領は黒人だし、ついでにハイヴィジョンでゲームができますよ!母さん死んでないけど。


 そんなわけで翌日も仕事があるのに深夜の4時に就任式を観ちゃったのだけれど、ちょっぴりアメリカ人が羨ましくなった。新首脳の就任式を一目見るために200万人も集まるなんて、日本では考えられないよな。ローゼン閣下と呼ばれていた頃の麻生太郎秋葉原で演説しても、足をとめたのは数十人程度だもの(今ならもっと少なそうだ)。


 なんで羨ましいかというと、アメリカではそれだけ新大統領に期待する人が多いってことの証明だからだ。つまり、それだけの人が政治に期待しているからだ。


 対して日本はどうか。経済は一流だけど政治は三流という言説が生まれたのが約二十年前、いまや不信や軽視を通り越し、政治に露ほどの期待もしなくなってしまった。おまけに経済も一流で無くなった。


 以前、おれは全く選挙に行かないと自慢げに語る後輩に説教しようとしたのだが、「でも、選挙で投票しても何にも変わらないじゃないですか!」と言われ、ちと言い淀んでしまった経験がある。本当はそんなことなくて、どんな選挙でも投票率が常に7〜80パーセント台をキープするようになれば、確実に日本は変わる。良きにつけ悪しきにつけ、それが誰にとっての良きことで悪きことなのかという問題は置いといて、変わる。でも、ほとんどの国民はそう思ってない。日本が民主国家である限り、だから政治も変わらない。もう日本と日本人は終わりかもわからんね。


 でも、アメリカはそうじゃないってことなんだろう。先の参議院選挙と大統領選挙の投票率は10ポイント程度しか変わらないらしいのだが、就任式にこれほどの人数が集まるということは、政治に対する意識の問題なのだろう。ちょっと羨ましいな。


 日本で、これだけの国民が集まったり、注目したりするイベントって無いよな。少なくとも、総理大臣の就任式では、ない。それは、ほとんど全ての日本人が、最早政治に期待していないからだ。


……いや、日本で、アメリカの大統領就任式に肩を並べるほど、国民の注目と意識を集めるイベントが二つほどあった。大喪の礼即位の礼だ。あの時、国民は一人の人間の死に様に注目し、一人の人間のランクアップに注目していた。商店街は全部シャッターを降ろし、テレビも新聞もネットも、いや現在のようなインターネットはまだ無かったけど、全部同じイベントを報道していた。丁度、オバマ大統領の就任式と同じように。


 そんなことをつらつらと考えていたら、町山智浩がストリームで興味深いことを言っていた*1天皇というのは天皇の家に生まれついたから天皇であるわけではなく、肉体はただの器にすぎなくて、即位の後に「天皇霊」を受け継ぎ、自らの体に降ろすことで初めて天皇になる(ジャンプ愛読者である我々にとって「天皇=グレートスピリッツと憑依合体したシャーマンキング説」はすんなり受け入れられるコンセプトだ)。オバマリンカーンが宣誓式で使った聖書を使ったり、ルーズベルトの言動をなぞったり、ケネディの演説を真似したり、キング牧師の言葉を引き継ぐことで、同じようなことをやろうとしているのではなかろうか?「大統領霊」を自らに降ろそうとしているのではなかろうか?オバマは黒人でもあり白人でもありアジア人でもあるので、誰にでもなれる。自らを意識的に神格化することでアメリカを背負おうとしている、という内容だった。



 より卑近にいえば、オバマは「アメリカ」というキャラになろうとしている、ということなのかもしれん。大改革を実行するには誰もが納得する「神」になる他なく、それを意識的にやろうとしているのかもしれん。


 大統領選におけるオバマの勝因は、ブッシュ政権の経済政策や外交政策への反動という見方が大勢を占めている。でもさ、どんな社会でも、自分より頭が良い(或いは良さそうな)政治家の政策や外交方針を完全に理解して投票する人ばかりでは無いんだよね。候補者への信頼感や安心感といった、人柄や雰囲気のような、本来問われるべき政策とは関係ない要素を元に投票してしまう(アメリカにおける竹中平蔵いうところのB層ってことだね)。それは、政治に期待する人の多さとは別の話だ。


 そのような理由から、民主主義国家において、民衆は自分たちより頭の程度の良いリーダーを持てないという構造的限界があるのだけれど、それならば「神」がリーダーになったらどうか?という話なのかもな。「神」というのは人間が安心感を得る為に、信心の対象として作った最高の発明だ。オバマは意識的に「神」になることで仕事をやり易くしようとしてるのかもね。それは怖ろしいことでもあるのだけれど、上がりまくったハードルのせいでルーズベルトのように最初の100日でなにがしかの結果を出さなければならないオバマとしては当然の方針かもしれないね。

それは何故かと言うと、いろいろ理由はあるが、その最大のものはパレスチナ問題に関する引っかかりの気分である。結局、オバマ大統領の就任までの3週間に、ガザでは1315人のパレスチナ人が虐殺され、そのうち417人が子供の犠牲という凄惨な事件になった。これは何なのだろうか。イスラエルが米国の新大統領の就任を祝賀して捧げた血の生贄だということだろうか。そう思えというのだろうか。イスラエルのガザ空爆が始まったとき、オバマはハワイのゴルフ場でクリスマス明けの年末休暇を楽しんでいた。イスラエル戦争犯罪の蛮行を止めなかった。

戦争と悲劇を止める指導者としての能力と責任がありながら、就任式までの3週間の間、ガザを血の海にして、パレスチナの子供の無残な遺体を積み上げるに任せた。

http://critic5.exblog.jp/10228037/#10228037_1

 例えば上記のようなもっともな批判があるのだけれど、本当にオバマが何か発言することでイスラエル軍が撤退するのかという問題は横に置いといて、メディアはあまり激しくつっこまない。寧ろ、中立的な立場をとらざるを得ないオバマに同情的だ。これはやっぱり「神」効果だよな。


 かと思えば、翌日のストリームでは勝谷誠彦がまるで天皇の言葉を忖度するかのようにオバマの演説を忖度していて*2、うひょーっとなった。


Fallout 3(フォールアウト 3)【CEROレーティング「Z」】
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